ホツマツタエpart3 1のあや 文化風習レベルの高さ

 

 

 

 

 

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ホツマ序文 ほつまつたえおのふ は

これは奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の若宮社の

オオタタネコが全文をまとめたものから始まります

 

紀元前200~300年ごろは

渡来人が多く訪れ、

天皇の統治が及ばなくなっていた

 

そういった背景からホツマは生まれた

こういった古事記とかホツマとかっていう文献は

 

日本のそれまでの体制に何かがある何かがあったからこそ

新しく作り残されるという性質があるんですね

 

ホツマはオオタタネコ、国の右大臣の系統により残されたというところがあり

この右大臣の系統とは警察に当たるようなものという事で、

 

やはりこの様な面からも

国の危機に際していたという事が伺えるという事です

 

 

歴史は常に後の世の権力者

争いの勝者に寄って書き換えられるもの

 

また認められない文献が出てきた際は

その時までの権力中枢が残したいものであるといった意向があるので

このホツマの書かれた背景もなんとなくご理解頂けるかと思います

 

それでは序文はこんな感じなので

このまま

第1章

に入りたいと思います

 

ホツマでは機織りに準えて紹介する形式をとっているので

第1章というよりは 第一のあや と表現されています

 

なので以降、あやと称して進んでいきたいと思います

 

天の巻1 第一のあやは きつのなとほむしさるあや ということで

東西の名と蝕虫去るあや とあります

 

だいたいどんなものなのか!?というのも氣になるかとは思いますので

少しだけ読んでみましょう

 

 

 キツノナトホムシサルアヤ   きつほむしさるあや     東西の名と蝕虫(ほむし)去る文

                                  [起尽]

  

 ソレワカハ ワカヒメノカミ  それわかは わかひめかみ    それワカは    ワカ姫

                                      (和歌)     (ヒルコ)

 ステラレテ ヒロタトソタツ  すてられて ひろたそたつ    捨てられて    「拾た」 と育つ

                                             (廣田宮)

 カナサキノ ツマノチオヱテ  かなさきの つまて    カナサキの    妻の乳を得て

 アワウワヤ テフチシホノメ  あわうわや てふちしほのめ    アワウワや    長ぢ 初の目

  

  

 ウマレヒハ カシミケソナエ  うまれひは かしみけそなえ    生れ日は     炊食供え

 タチマヒヤ ミフユカミオキ  たちまひや ふゆかみおき    立舞や      三冬 髪置き

 ハツヒモチ アワノウヤマヒ  はつひもち あわのうやまひ    初日 十五日    陽陰の敬ひ

                                (一月一日・十五日)    (日月)

 モモニヒナ アヤメニチマキ  ももひな あやめちまき          菖蒲茅巻

                                   (三月三日)      (五月五日)

 タナハタヤ キククリイワヒ  たなはたや きくくりいわひ    棚機や      栗祝ひ

                                 (七月七日)    (九月九日・十三日)

 ヰトシフユ ヲハハカマキル  としふゆ はかまきる    五歳冬       男は袴着る

                                  (十一月)

 メハカツキ          かつき            女は被衣

  

       コトハオナオス        ことはなおす             言葉を直す  

 アワウタオ ツネニヲシヱテ  あわうたお つねをしゑて    アワ歌を     常に教えて

  

まだまだ続くのですが長いのでだいたいこの辺にしときますが、

 

どうだったでしょう!?

 

舞をまっていたとか

正月1日と15日には陰陽を敬いもちやあわをたべたとか

ももにひなで3月3日と5月5日はそれぞれ祝いちまきなどを食べたとか

 

7月7日、9月9日には 収穫を菊と栗をもって祝い

5歳のの冬には男の子は袴を着る 女の子はかつきを着る とか

 

 

年の行事、祝い事、風習が

歌を歌うが如く 読み進められています

 

ここで驚きなのは紀元前の300年ごろには

こういった餅があったりチマキを食べてたり袴を着たり

といった感じで、なんだか平安や江戸の時代と変わらないんじゃないか!?

 

と感じるくらいに平和で豊かでそして文化的な生活をしていた という事実と

これを和歌として詠んで伝える 当時の意識のレベル、その高さに驚きます

 

そしてこれを常に教えて

幼い子に歌い聞かせては覚えさせて

言葉を直したりしていた

 

という事からも幼くも相当に賢く育つ事を可能にしていることが解ります

 

ひな祭りも紀元前2500年頃にできたものとされ

決して大陸由来ではないといった事とか

 

本当に読み進み理解を得るに連れ、古代と称するのもどうかな~!?と思うくらい

文化水準が高く、今の時代より人の心も豊かだったのでは!?と思わせます

 

また単語の由来・語源になる解説もされていて

日本語を操る日本人としてはとても興味がそそられるものなのでは!?

と思います

 

他にも例えば、

 

東西南北の語源

 

東の語源は

お日様のかしらが出るところだから

ひのかしら

ひがし

となったという事が歌になっていたり

 

次に南に関しては

お日様が昇り、みんなが見た方向だったから

皆見る 南 となったという事です

 

次に西は

に が赤いという意味を持つという事で

赤に沈む ににしずむ ので西 という事です

普通にあっちにしずむ で西とも考えられそうですね

 

次に北に関しては キタトイフ ヨルハネルユエ キタハネソ

モシヒトキタリ コトワケン アワネハキタヨ

アフハヒテ ミナミニコトオ ワキマエテ オチツクハニシ

カエルキタ ネヨリキタリテ ネニカエル とありまして

ネ は北ですよと最初に言ってあり

 

そのあとの歌に アワネハキタヨ とネヨリキタリテ とネニカエル

でなんだか狐につままれた様な解説なのですが、

 

他の説でいくと

 

夜に 氣を貯めている

きをためる 北 になった説がある様です

 

そしてここで出てくる夜に関しても

氣を貯めて蘇る よみがえる の夜になるという事です

 

そして他にも

国のあった姿や豊かさだったりを詠まれたところがあり

 

その次に虫が湧いて民衆が苦しむところで

蝕む虫とかいてほおむしとか

ほむしと読む害虫のくだり

に移ります

 

 シカルノチ イサワノミヤニ  しかるのち いさわのみやに    然る後      イサワの宮

                                       <ワカ姫が>

 ハヘルトキ キシヰノイナタ  はへるとき きしゐいなた    侍る時      キシヰの稲田

                                           (紀州)

 ホヲムシニ イタムオナケキ  ほをむしに いたむなけき    蝕虫に      傷むを嘆き

 アルカタチ ツクルイサワノ  あるかたち つくるいさわの    ある形      告ぐる結和の

 ヲヲンカミ アマノマナヰニ  ををんかみ あまのまなゐに    大御神      アマのマナヰ

 ミユキアト          みゆきあと            御幸後

                                     6

  

       タミノナケキニ        たみなけきに             民の嘆きに

 ムカツヒメ イソキキシイニ  むかつひめ いそききしいに    ムカツ姫     急ぎキシイ

 ユキヒラキ タノキニタチテ  ゆきひらき たのきたちて    行き翻らき    田の東に立ちて

                                          (“田の起を願うマジナイ)

 オシクサニ アホクワカヒメ  おしくさに あほくわかひめ    押草に      扇ぐワカ姫

 

 ウタヨミテ ハラヒタマエハ  うたよみて はらひたまえは    歌詠みて      祓ひ給えば

 ムシサルオ ムカツヒメヨリ  むしさるお むかつひめより    虫去るを     ムカツ姫より

 コノウタオ ミソメオマテニ  このうたお みそめまてに    この歌を     三十侍を左右に

                                            (30人の青侍)

 タタツマセ オノオノトモニ  たたつま おのおのともに    たたづませ    各々共に

 ウタハシム イナムシハラフ  うたはしむ いなむしはらふ    歌わしむ     厭虫祓ふ

 ワカノマシナイ        わかのましない          ワカのまじない

                                 (沸・若)

 

とまだ続きがあるのですが、だいたいこんな感じの歌が詠まれて時代背景が解りやすく

 

そしてここで登場する 祓いの和歌 というものもあり

 

 タネハタネ ウムスキサカメ  たねはたね うむすきさかめ    『種 畑種      大麦 小麦 盛豆

 マメスメラノソロハモハメソ  まめすめそろははめ    大豆 小豆らの    繁葉も蝕めぞ

                                           茂る葉も傷むが

 ムシモミナシム        むしみなしむ          虫もみな垂む』

 

これには言霊パワーが含まれているとされています

 

これは57577の31音ではなく

57587の32音からできていて

君が代と同じになっています

 

なので君が代も祓いの和歌であったという事なんですね

 

 

そして話を戻して

 

この歌を360回歌った事でこのホムシという害虫を西の海に追い払い

そして きしいくに は再び実り良くなり 人々は世の糧を得ていった

ということを伝えています

 

ここでは きしいのいなだ 紀州現在の和歌山県が出てきたり

おおんかみ あまのまないに と読み記すくらいですから

おそらく清き水を大きな神として祀っていたのでは!?とおもわれます

 

確かに何が神様か!?って考えてみれば、

人間の生存にとって一番大切な存在は水ですから

水を神として歌を詠んでいるのも納得がいきます

 

 

そして続きの

きしいくに

では

 

 キシヰクニ アヒノマヱミヤ  きしゐくに あひのまゑみや    キシヰ国     太陽の前宮

 タマツミヤ ツクレハヤスム  たまつみや つくれやすむ    タマツ宮     造れば安む

 アヒミヤオ クニカケトナス  あひみやお くにかけなす    太陽宮を     国懸となす

  

 ワカヒメノ ココロオトトム  わかひめの こころととむ    ワカ姫の     心を留む

 タマツミヤ カレタルイネノ  たまつみや かれたるいねの    タマツ宮     枯れたる稲の

 ワカカエル ワカノウタヨリ  わかかえる わかのうたより    若返る      沸の歌より

                                (“沸返るの意)

 ワカノクニ          わかのくに            沸の国      

   

といった感じで、

 

和歌が詠まれた地

和歌山県の由来まで触れております

 

これがもしその辺の人が和歌を詠んだだけなら

本当に地名として残る事になるかな~!?と思います

 

尊い人が そこで 非日常的に和歌を詠んだからこそ

その地名がついていったのでは?!と考えられます

 

またここではきしいくに 和歌山に

あひのまえみや とあり これは 太陽の前宮 という事であるのと

このあひみやをくにかけとなす とありますので

 

この国懸というのは調べると国、地方を治める 政殿、政庁という事で

 

これらのことから感じられるのは

太陽の前宮が存在しているということは

前宮に対し本殿もどこかに存在していると考えられる と誰でも容易に想像がつくと思います

 

ここでは当時の人にとっては当たり前だからこそ

書き記す必要もなかったのでは!?とも考えられます

 

もしその本殿が、本当に伊勢にあったとしても

伊勢神宮は歴史的にはより後年に存在し始めた事ですし

三重と和歌山の地政的な関係上 あひの前宮というよりは 後ろ宮 と称するのでは!?となります

 

また だとしたら

大阪や滋賀県、奈良県に本殿の可能性も感じられますが、

大阪はその頃は入江が多く、開拓されたのも歴史的に跡になり

奈良や滋賀県の可能性は多少の可能性を残すものの

 

やはりあわの歌という歌で始まる このホツマツタエ からも

またあで始まりわで終わると 重大に意味を込めている名前からも

阿波国と書いて徳島県を指す事からも

 

本殿の存在が実は徳島にあったのでは?!と自分は推測してしまいます

なのでまた次の歌を考えてみたいと思います

 

 カナサキイワク      

  かなさきいわく             カナサキ曰く

 

 コノウタハ カエコトナラヌ  このうたは かえことなら    「この歌は     返言ならぬ

 マワリウタ ワレモミユキノ  まわりうた われみゆきの    回り歌      我も御幸の

 フネニアリ カセハケシクテ  ふねあり かせはけしくて    船にあり     風激しくて

 ナミタツオ ウチカエサシト  なみたつお うちかえさと    波立つを      うち反さじと

                                          船を転覆させまいと

 マワリウタヨム        まわりうたよむ          回り歌 詠む

   

  

 ナカキヨノ トオノネフリノ  なかきの とおのねふりの    『長き夜の     絶の眠りの

                                          途絶えがちな眠りの

 ミナメサメ ナミノリフネノ  みなめさめ なみのりふねの    みな目覚め     波乗り船の

                                           高浪に漂う船の

 オトノヨキカナ        おとよきかな          復の良きかな』

                                 (揺れ)

  

  

 トウタエハ カセヤミフネハ  とうたえは かせやみふねは    と歌えば      風止み 船は

 ココロヨク アワニツクナリ  こころよく あわつくなり    快く       アワに着くなり

 ワカヒメノ ウタモミヤヒオ  わかひめの うたもみやひお    沸姫の      歌もミヤビ

 カエサシト モフセハキミノ  かえさと もふせきみの    反さじ」 と    申せば君の

                                   覆すまいと

 ミコトノリ カナサキカフネ  みことのり かなさきふね    御言宣      「カナサキが船

                                               (渡し)

 ノリウケテ メヲトナルナリ  のりうけて めをとなるなり    乗り受けて    夫婦なるなり」

  

  

 ヤスカワノ シタテルヒメト  やすかわの したてるひめと    ヤスカワの    シタテル姫

                                          若宮を仕立てる姫として

 アメハレテ ソノオシクサハ  あめはれて そのおしくさは    陽陰晴れて    その押草

                                陽陰調和(結婚)

 ヌハタマノ ハナハホノホノ  ぬはたまの はなほのほの    ぬばたまの    花はほのぼの

                                            グラデーションして

                              

 カラスハノ アカキハヒノテ  からすはの あかきひのて    明らす花の    赤きは日の出

                                  赤くなる花で   その赤さは日の出のようだから

 ヒアフキノ イタモテツクル  ひあふきの いたもてつくる    ヒアフギの    板もて作る

                                1. 日扇とも言う

                                 2. ヒノキの

 アフキシテ クニモリヲサム  あふきて くにもりをさむ    扇して      国守り治む

 ヲシヱクサ          をしゑくさ            教え種

 

と詠まれるこの歌には

波が荒れて 歌を詠んで沈め 無事に

御幸の船に乗って あわについた とありますので

 

きしいの国の次にこの歌が詠まれているということは

あわに帰った ついた と思います

 

御幸とは 天皇又は上皇とか法皇とか女院の外出 とあり

これは天皇の外出であったとも取れます

 

また最初の かえごとならぬ まわりうた というところに

ただ和歌を歌っていたのではなく

 

当時の時代背景からも大陸からの移民が押し寄せ

虫の様に稲を蝕んだのかもしれないので

 

天皇が御幸して

変えてはならない 歌 示しの様なものを

触れて回ったのではないのかな!?とかも考えたりできると思います

 

 

そして先ほどの歌の

 

 ナカキヨノ トオノネフリノ  なかきの とおのねふりの    『長き夜の     絶の眠りの

                                          途絶えがちな眠りの

 ミナメサメ ナミノリフネノ  みなめさめ なみのりふねの    みな目覚め     波乗り船の

                                           高浪に漂う船の

 オトノヨキカナ        おとよきかな          復の良きかな』

 

という歌にもいくつかの意味が込められ

 

それは

民には国民という自覚がなかったかもしれず

移住民に押し寄せられていたところに

歌を詠み高貴な姿をもって威厳を示して回った

 

その 長い無自覚という夜からの目覚めと その目覚めさせた

国民という意識を持たせた 感触を得たものであった とか

 

そういった意味も含みつつの

あわへの帰路の歌だったのでは とか考えてしまいます

 

 

で、

このあわについて人により解釈が陰陽のことだったりするのですが、

自分には素直に阿波国のことととって良いと思うのですね

毎回、アワを陰陽という意味に置き換える意味がわかりません

 

たしかに、このヲシテ文字は今の時代ならカタカナを当てはめて読みますから

 

当てはめたその先において

濁音を持つところだったり

字をつなげて読むか詠まないか だったり

 

結構いろんなパターンで読めるので

意味や要素を 多分に含むものとしても

わざと作られている とも感じます

 

古代の人は叡智とか頓智が効いていると思われますから、、

なのでまああくまで自分の解釈になりますのであしからずです

 

しかし、

実際に歌に

 

こころよく あわにつくなり

 

と書かれているわけですから

これはそういう事で良いのでは!?と思います

 

あなたはどう考えますか!?

 

といった感じで

ホツマツタエ、1のあやから

だいぶ長くなってしまいました

本当はまだ他にも歌は続き、内容はありまするが、

終わらないので今回はこの辺で締めて、

次から2のあやに入りたいと思います

 

 

 

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