ホツマツタエpart5 第2のあや 天神7代とその文化的支配圏を考察

 

 

 

 

 

 

 

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それでは

後の世で天皇の先祖になってしまった と思われる人たちを含めた

天皇家の家系図

とされているものから

この辺のことを推察考察していきたいと思います

 

 

初代が

クニトコタチ

八王子のエノミコト

トヨクンヌ

 

そして4代目の ウビチニ そのお妃が スビチニ

この代から結婚の儀が始まったとされて

お妃も名を連ね始めるという事だそうです

 

オオトノチ

オモタルカシコネ

 

そして7代目が

イサナキ イサナミ

となりますが

 

この人の出どころは

タカミムスビという家から出たという事で、

 

これも音から判断すれば

高いところに居を構えて

物見をしていた一族

 

それらの家の人たちが 結びあい おそらく連絡しあい

防衛していたという事で

タカミムスビなのでは?!と感じます

 

なので何が言いたいかというと

天皇家などというものはこの頃はまだなくて

 

これら天皇家の初代とされた方達は

まあ 国を防衛するリーダー的な人たちであったのではないかな!?

と思います

 

まずミコトで続くのかな~と思っていたら

クンヌとかウビチニとか

 

名前に関連性が見出せませんし、

八王子という名称も後付けのものとも感じますし

イサナキはタカミムスビ家から出てきたと事実が載っている訳ですからね、。

 

またタカミムスビという家柄は

古事記ではゾウカ三神といわれ、神格化されていて

タカミムスビ、カンミムスビ、アメノミナカヌシとあります

 

タカミムスビは世襲制の一族であったとされていて

1代目2代目とあって5代目のトヨウケカミが伊勢神宮の外宮にいたりします

 

これは見張りの一族であったのでは!?とか

ただ単に山登って見張りをしていた人の中のリーダーを

1代目とか2代目とか言っているのでは!?と思います

 

なんとなくですが、

やはり古事記によって刷り込まれたものが邪魔をして

 

真実に迫らせない様なものも感じますから

この事からも古事記がのちの権力者に都合の良い様に書き換えられたもの

という説も納得がいくと思います

 

 

そしてちょっと戻って

先ほどの三神の一人

 

カンミムスビという名前も

音を素直に感じて連想すると

甘味を結ぶのですから

 

あまいものを平等に人々に分け与える役目をおったひと

コメや農産物を分け与える役目をおった人

平等で信頼置ける様な人たちが選ばれたのでは?!

とか思います

 

トヨウケカミ

 

に関してもも少し触れてみると

このトヨウケカミはイサナミのお父さんにあたるという事で

アマテラスのおじいさんにあたり、

 

フトマニの考案者であり、乗馬の達人であったとか

医学に秀でていたとか、鉱物を抽出する方法を考案したとかあって

優秀なことが解りますが

 

やはり、高いところ登って見張りやるだけって

ほぼほぼなんもしないのと一緒で暇ですから、

 

その暇を持て余して、好奇心の赴くままに遊んでたら

いろんなことを解ってしまい、その知識は人に役立つものですから

世の中でも受け入れられて、それなりのポストについてしまう

 

そういう現象、なりゆきじゃないかな~とか思います

 

それでは

本編第2のあやの続き

に入りますので

 

前回は夜の事で熱い 桃 な感じの夜を過ごして

そしてその後になります

 

 

       ミアツケレハヤ        あつけれはや              身 熱ければや

 アスミアサ サムカワアヒル  あすあさ さむかわあひる    明三朝       冷む川浴びる

 ソテヒチテ ウスココロ  そてひちて うすのにこころ    袖 浸ぢて      多少の和心

                                 袖が水埴にまみれ     男女和合の心に

 マタキトテ ナモウヒト  またきとて うひちにと    全きとて      名もウビチニ

                                              (泥因)

 スヒチカミ          すひちかみ            スヒヂ

         

                         (水土)

 コレモウヒニル        これうひにる              これも泥和る

                                               ()と交わる

 フルコトヤ オオクナキ  ふることや おおきすくなき    振言や       多き少なき

                                  (慶言)

 ウスノナモ          うすのなも            ウスの名も

 

 

これは熱く燃えた二人が3日目の朝に目覚めて

まだ暑かったらしく寒川を浴びて、そして二人の情熱が昇華したということで

 

その際におとこは袖をたいそう濡らしてしまった事から名前がウヒチニで

女は少し濡らされたという事から名前がスヒチニとなったという事です

 

またここではウを 大きいとか多い とかの意味であるとして

スを 少ないとか小さいとかの意味であるとしています

 

 

そして次に行って

雛祭りの由来

 

   コノヒナカタノ        このひなかたの              この雛形の

 ヲハカムリ ウオソテハカマ  かむり うおそてはかま    男は冠       大袖

 メハコソテ ウハカツキナリ  こそて うはかつきなり    女は小袖      上被衣なり

  

 コノトキニ ミナツマイレテ  このときに みなつまいれて    この時に      皆 妻入れて

 ヤソツツキ モロタミモミナ  やそつつき もろたみもみな    八十続き       諸民も皆

                                 (臣たち)

 ツマサタム アメナルミチノ  つまさたむ あめなるみちの    妻定む        陽陰和る道の      

 ソナワリテ タクヒナルヨリ  そなわりて たくひなるより    具わりて      類成るより

 トシカソエ ヰモツキアマノ  としかそえ ゐもつきあまの    年数え        五百継ぎ天の

 マサカキヤ          まさかきや            真榊

 

 

とありまして

これは

 

おとこは袖 袴に

おんなは小袖に うわかつき を着ていて

 

同時にこの時に80人の有力者もみな妻を娶りまして

これを機に結婚の風習が天下の法となりました

 

という事で、これがどうも

ひな祭りの 元になったのかな~!?とかも思いますね

 

ひなが岳でのウヒチニとスヒチニの結婚と80人の結婚

ひな祭りって確か人形多かったですよね、!?

 

 

で次に行きまして

 

ここからは 歌を読んでもあまり解りにくいかな~と思いまして

株式会社日本翻訳センターのサイトが解りやすく引用を許可してくれているものがありましたので

これを読み、物語を知っていきたいと思います

 

第二話 少彦名(スクナヒコナ)と雛祭り

 

 大国主の本当のお名前をヤシマシノミノオオナムチといいます。

 生まれながらにして、優しい性格の持ち主で、人々の信望も厚く

 国土経営にも優れた手腕を発揮しました。

 

雨の多い冷害の年も、台風による被害にも、

日照り続きの乾ばつにも人々を飢えから守るための倉には、

備蓄米が満ち満ちて国は平和を謳歌していました。

 

 そんなある日、オオナムチが農業指導のために大国の郷

(さと、現・豊郷、愛知川町付近、滋賀県)を巡視していた折、

湖の彼方から鏡を舳先(へさき)に付けた舟が近ずいてくるのに出合いました。

 

 オオナムチが供の者に、

 「あれは何者か」と、聞きますが誰も答えられませんでした。

 

その時一人クエヒコ(大神神社、摂社クエヒコ神社、奈良県)という者が進み出て申し上げるには、

 「あの者は、カンミムスビ(タカミムスビ六代目、白山神社祭神)の

千五百人もある御子の中でどうしようもない落ちこぼれの、

教えの指をもれ落ちたスクナヒコナでございます」と、答えました。

 

 これを聞いたオオナムチは思うところあって、スクナヒコナを丁重に迎えると手厚く恵んで、

供に力を合わせて一緒に諸国を巡り国民の糧となる水田開発に努め、

養蚕や裁ち縫いの技術を女性達に教え広めて国土経営に尽くしました。

 

 又、病める者のためには薬草を栽培して、時には人間にとどまらず鳥や獣の病気も治して愛情を注ぎました。

 ある時は、稲子(いなご)の大量発生の報を聞くとどんな遠方へも一緒に馬で駆けつけて、

オシ草(玄人)と言う薬草で虫祓いをして民の糧を守りました。

 

 この様に、一見順風満帆の二人の国造りにも、満れば欠けるのたとえがあるように、

暗い人生を暗示するかのような、むら雲がおおい始めるのを誰が知りえたでしょうか。

 

 

。。出雲の国譲り。。

 

 ついに、オオナムチは、いわれなく諸悪の根源として宮中から攻撃され、

国を追われて最北の地、津軽に追放されてしまいました。

 

 この事件があってからのスクナヒコナは一人オオナムチと離れて、

アワ国(現・滋賀県)に伝わるカダの楽器を一心に習得すると、

 

あまりにも献身的に、あまりにも国に思いを託した自分の生き方をすべて捨て去り、

心の苦しみを背負ったまま諸国流浪の行脚に身をやつしました。

 

 

 津々浦々を巡り歩いてカダ楽器で弾き語る物語は、

いつも決まって人の心が美しく優しく輝いていた天神四代のヒナ祭りの物語でした。

 

 人々が忘れ去っていたヒナ祭りの物語を全国に教え広めて、

やがて年老いるとついに和歌の国のカダの浦に一人至り、

ウビチニ・スビチニの微笑む雛の国へと神上がりました。

 

 今日でも人々は、あまりにも一途で、

あまりにも壊れやすかったスクナヒコナの人柄を知ってか知らでか、

 

アワシマ神(注・アワの国に出現した神)として

ご当地の淡島神社(別名 加太神社、和歌山市)にお祭りしています。

 

 毎年弥生の三日になると、全国各地から持ち寄った雛人形を社前に奉納し、

雛流しの神事を盛大に祝ってスクナヒコナを偲んでいます。

 

 

 

第三話 結婚三日目朝の祝い歌

 

 これはヒコホホデミとトヨタマ姫の鹿児島宮(現・鹿児島神宮祭神カモハデズミ)で

結婚式後の三日目朝のお話しです。

 

 トヨタマ姫の兄トヨズミヒコ(弟タケズミヒコは下鴨神社祭神、京都)は

 今回新たに定まった六人の局(つぼね)達に、各々桃の花をあしらった揃の玉笠をかぶらせ、

 

皆の手には木の玉椀(たままりも)に水を張って持たせると、

いよいよ結婚三日目の朝、新婚ホヤホヤの二人が部屋から出てくるのを待ちました。

 

 やっと手を取り合って先に現われたヒコホホデミに、

六人の局達は一斉に水を降り注いで声をそろえて歌いはやしました。

 

モモヒナギ  交合(まじばい)後の  三日の日の

川水浴びて  ウビチニの  上(神)から下(シモ・民)へ

花婿(はなむこ)に水  まいらせう  まいらせう

 

 この時、九州の三十二県の県主達(あがたぬし)も諸民と一緒になって声を揃えて、

この祝い歌を唱いはやして、ついには万歳万歳(よろとし、よろとし)の喜びの声が輪となって

国中に広がってゆきました。

 

といった感じで

各神社なんかの資料からも情報を得て繋げていったとみられますので

自分の愚かな解説より詳細且つ真実・事実に近いと思います

 

だけどこれ読んじゃうと

あれですね~、、

考察の空きがなく感じますね

 

なので今回はこの古代の文化圏を歌った歌から

その

領域を考察

したいと思います

 

 

歌には

 

      ヲウミアツミノ        をうみあつみの              ヲウミ安曇

 ナカハシラ ヒカシハヤマト  なかはしら ひかしやまと    中柱        東はヤマト

                                              (本州)

 ヒタカミモ ニシハツキスミ  ひたかみも にしつきすみ    ヒタカミも     西はツキスミ

                                                 <>

 アシハラモ ミナミアワソサ  あしはらも みなみあわそさ    治原も       南 阿波・ソサ

                                    2

 キタハネノ ヤマトホソホコ  きたの やまとほそほこ    北はの      ヤマトホソホコ

 

 

この様にあり、

 

ヲウミアツミノというのは 近江が滋賀でアツミは安曇で信州あたりで

ナカハシラ だった、文化の中心だったと感じます。

 

そして、ヒカシハヤマト 東はヤマトという事でこれが奈良だと安曇より南だし西だし都合が合いませんので

今の時代からヤマトという地名は考察しにくいものではないか?!と思います

 

なので純粋に 名前の響きから考えると、元のヤマトとはどこになるのでしょう、、

山が十あった のか 山が 遠かったのか やまが尊いからなのか、 八つのマトがあったのか、

 

とりあえずでもこれは

信州より東で山があるところですから今の山梨県とか

ひょっとしたら富士山領域なのかな~とも思いますし

 

今までにツクハといって筑波も出てきましたから

その辺りの可能性も 山も遠くに見えるし ん~~

 

近江、安曇、筑波と共通するのは

湖、霞ヶ浦の様に安定して水を引ける場所から水田をしたと思われますから

そういった感じかな~とも思います

 

でもそれ言っちゃうと富士五湖も入ってきますけど、

あの辺は山間の狭いエリアしか開拓しづらいかとも思いますので

それなりにしか開拓はしずらいですよね~ んー、、

 

ちょっと場所が解りにくいですが、

その後の時代において

大和朝廷となり奈良あたりに居を写したとされる

元の一族というか文化圏が存在していたと考えられるのでは!?と思います

 

 

で次に

ヒタカミモというのは 日高見 (日高み)。 

 

今の仙台あたりを首都とする古代の王国。タカミ・タカヒ(高日とも言う。

ハコクニが建国、その子の東のトコタチが初代タカミムスビとなる。

 

という事で、タカミムスビ一族の出所はこの仙台あたりの

古代王国とされているんですね

 

 

ニシハツキスミ という事で

その昔、アメカガミヒタカミから下ってツキスミを治め始める。つまりツキスミは当初はヒタカミ系。

とあり、

 

西は筑紫をすみにしている

筑紫は福岡のちょっと内陸にも文化圏があったんですね

 

この後の7世紀くらいの大和朝廷の時代に大陸移民や侵攻等への備えたり

九州エリアをより強固に統括すべく大宰府が置かれることになるんですね

 

その次の

アシハラモ ミナミアワソサ

 

現時点であしはら、なかはらという言葉から

はらという時に平和な文化圏的なものを感じますね

 

 

で、その文化圏の 南は 阿波とそさということで、

徳島と、 どこか にされているんですね

 

そさはキシイの和歌山の別名と推測されています

スサノオもソサノオだとされたりして

そさ=和歌山という事もいわれたりするんですね、、

 

でも思うんですけど、それだったら

キシイは既に出ていて、その ミナミアワキシとか

 

ちょっと、稲作文化圏を築くにしては

湖とかゆったりした川とかの要素がない地形に思えるので、

ソサは 違うとこなんじゃないかな!?とも思えます

 

 

湖的要素で言うと

安曇からも南という事で、

浜名湖エリアとかも考えられるかな~とか思います、、

 

ま、全然解りませんけど、、、

で、次にいって

 

 

キタハネノ ヤマトホソホコという事で

北は根の国、越根の国が省略されたという事で北陸辺りとされています

 

そして問題のヤマト という言葉がまた出てきて、

それに ホソホコ とは!? ダブルでなんぞや!?

といった感じですね、、

 

ヤマトは実はあしはら、なかはらとかの ハラの国の人とは違う民族を指す言葉でしょうか、、

この時代の民族背景はおそらくごっちゃごちゃしていたと想像できますし、、

それなら後の時代にヤマトとして君臨したもの達の存在が繋がってきて、納得いきます

 

ホソホコは

中国地方。 =ニシナカクニ(西中国)

アワナギにより平定・開拓される。

もともとサホコチタル国は根国の一部であったようで、根国との区別があまり明確でない。

 

という事なのですが、

だとしたら北という最初の表記は西でも良かった様な氣がしますね

 

日本海側勢力といった感じでしょうか!?

でもヤマトホソホコ ヤマトがつく、、

うんーー 良く解りません

 

という感じで今回はあやふやになってしまいましたが、

やはり後の大和朝廷は、ヤマト時代、飛鳥時代、奈良時代の時を超えて

そして平安時代の藤原朝廷になるまで続いたものかな~となんとなく推測できます

 

 

 

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