ホツマツタエpart6 第3のあや イサナキ イサナミの悲しい運命と徐福ユダヤの乗っ取り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日は

ホツマツタエ

第3のアヤ ヒヒメミヲウムトノノアヤになります

 

前回同様 先に解説を読んで自分の考察を入れていきますが

最初に断っておきますが

 

自分の推察はあくまで個人的なものなので

怪しいな~と思ったり そこはそうじゃ無いでしょ!という箇所は多々あると思うので

コメント欄で教えていただけたりすると嬉しいです

 

できれば低評価でないようにお願いしますw

 

 

 

イサナギ・イサナミの御子誕生

 

 天神六代目を嗣いだオモタルの神は、

妻のカシコネと一緒に力を合わせて国の八方を巡幸し、

 

農業開発の指導をして国民の糧を増やしつつ、

さとしてもなお逆らう賊共に対しては敢然と逆矛を持って打ち滅ぼし国の平和を計りました。

 

 淡海(オウミ)の安曇(アツミ)川の中州に国の中柱(なかはしら)を建て、

ここを沖壺と名付けて起点とし、東方は日高見(ヒタカミ)国から、西は月隅葦原(ツキスミアシハラ)国、

南に転じて阿波(アワ)から素佐(ソサ・紀州)へと歩みを進めて、

 

北は北()(北陸)から山本細矛千足(ヤマトホソホコチタル・山陰地方)国まで開発と平和維持に尽くしました。

しかし最後まで嗣子に恵まれなかったばかりに、

せっかく統一なった豊かな国も次第に乱れ秩序を失っていきました。

 

 

と、ここまでが前回までのお話になりますね

 

 

安曇

といえば信州諏訪湖周辺でしょうか!?

ここはユダヤとの関連が多く指摘されるエリアですね

 

七年に一度の巨木を落とす謎のお祭り御柱祭があったり、

もりや山というイスラエルと同じ山があったりします

 

アブラハムの息子 イサクを神に捧げる様に命じられ

モリヤ山で捧げようと刃物を振り上げたら

 

神のおつかいが現れてやっぱり羊でいいよってなって

羊を捧げたとされるのですが

 

かつての御柱際も江戸時代くらいまで柱に少年をくくりつけて

落としていたそうで、それって確実に捧げるためな感じがしますよね

毎回死人でるって聞きますし、、

 

では先に進んで

 そんなある日の事です。天神からイサナギとイサナミの両神(ふたかみ)にお達しがありました。

 

 「沖壷の葦原には千五百反にも及ぶ秋の実を約束された良い水田があるから、

ここを起点に全国を統一し、天神七代目を嗣ぐべし」

 

 又、クニトコタチから連綿と受け継いだ瓊の璽(トのオシデ・天成道を記した宝典)と、

逆らう者を滅ぼす矛とを賜わり、「汝、これを用いて国を治めよ」との詔がありました。

 

ここで思う事2点ありまして

 

この時点ではまだ三種の神器は出てこず、

受け継いでいたのはトノオシデと呼ばれる天成道を記した法典と、

逆らうものを滅ぼす矛のみだったんですね

 

ちなみにこの逆鉾は今もまだ実際に

宮崎鹿児島県境の高千穂の峰に刺さったまんまですよね

 

 

では進みまして、

 

 後に両神は仲人の事解雄(コトサカノオ)の浮橋(橋渡し)を受け入れ夫婦となり、

手初めにその浮橋の上に立って授かった矛で下界を探り手応えを得て後、

 

したたり落ちた滴(しずく)で占い、クニトコタチの秘儀のオノコロを契って、

良い場所を決めて宮殿を造営しました。

 

ここから大日本国(オオヤマト)を再び平和で豊かな国へと再生しなおし、

その間山海の万物をも生み育て、

 

又、夫婦あい和して人々の訛った言葉を正すために音声の訓練にアワ歌を教えて全国を巡り、

人の道を教え広めながら養蚕法も伝えて生活改善にも尽くしました。

 

この養蚕て良く出てくるんですけど、

これも弓月君のところでやった様に

ユダヤの人が得意としてた産業ですね

 

 いったん乱れた秩序を再び回復させて国を再建し、

(いさお)しを立てて神代の七代目を継いだそもそもの糸口は、

 

クニトコタチの神が木の実を東国に行って植えて、その地で生んだ子供の名をハゴクニと言い、

そのハゴクニはヒタカミの国を建国し、この地に天上の高天原(タカマガハラ)の四十九神を歓請して、

初めて地上の高天原(タカマガハラ)にアメミナカヌシを祭りました。

 

ここにクニトコタチの理想郷のシンボルの橘(たちばな)の木も植えて、

生んだ子の真名(イミナ)をキノトコタチと言います

 

諸民は神聖な高天原を嗣ぐ御子の誕生を心から喜び、

ヒタカミ国を統べる(結ぶ)タカミムスビの名を捧げて称えました。

 

キノトコタチの子はアメカガミ神と言い、筑紫(ツクシ)を治めました。

 

 

 天神四代目のウビチニが生んだ子のアメヨロズ神は

タカミムスビを継いで素阿佐(ソアサ・四国地方)国を治めて、

アワナギとサクナギの二子を儲けました。

 

アワナギは北陸()の白山本(シラヤマト)国から細矛千足(サホコチタル)(山陰地方)までを、

法をもって治めました。

 

アワナギの長男の真名(イミナ)をタカヒトと言い、幼名はカムロギと言います。

 

 タカミムスビ家の五代目を継いだ真名(イミナ)タマキネは豊受神(トヨウケ)とも言い、

六代目にして滅びた天神の皇統を何とか復活したいと願い、

娘のイサコとアワナギの子のタカヒトとを結ばせて七代目を継がせようと考えます。

 

このイサコはイサナミでタカヒトはイサナキになります

 

では次行って

最初ハヤタマノオが二人の間にウキハシ(仲人役)を渡そうと試みますが失敗します。

 

次にコトサカノオが慎重に国の危機を二人に説いて聞かせて橋渡しに成功しました。

 

 両神は方壷(ケタツボ・仙台多賀城市付近)から西南の方向の

ツクバ山の麓を流れるイサ川から少し離れたイサ宮でお互い縁結びをして、

イサ宮に因んでイサナギとイサナミを名乗り即位しました。

 

 

 それはツクバのイサ宮でのことです。ある日の事、男神が女神に体調(生理)をお聞きになりました。

 

女神がお答えになり、「私には成り成り足らぬ陰元(メモト)という処がございます」男神が答えて言いました

「私には成りて余りある物があるので、これをお互い合わせて御子を生もうじゃないか」

 

 

これは物凄いエロスの申し入れ方ですね!?w

まさに単刀直入といった感じです

 

で、このイサ宮の名前と言い、イサナキ、イサナミの名前の由来からは

アブラハムの子イサクの血統的な何かを感じます

 

 

 この後、両神は御殿(みとの)で交合(マグバイ)をなして子をはらみ生まれた子の名を、

昼に生まれたので昼子と名付けました。

 

しかしながらこの年父の年は四十才、母が三十一才で二年後には天の節目(厄年)に当たり、

この節目に悪霊が宿ると、女子には父の汚穢(おえ)が当たり、男子は母の隈(くま)となると恐れられていました。

 

 まだあどけない三才にもならない、いとおしいヒルコ姫は、イワクス船に乗せて捨てられました。

下流では住吉神のカナサキが待ちかまえて拾い上げ、妻のエシナズと共に西殿(西宮)で育てました。

 

ここで生まれた女の子が 最初のあやで歌を詠んだ和歌姫さまとなります

 

なので古事記で習った様な

アマテラス、ツクヨミ、スサノオ

という順ではなくこういったことも記されているのが

ホツマの詳細さを示しますね

 

また和歌姫様は筑波山で生まれて、流され 

ひろい育てたとされるのが住吉大社のカナサキなので

この話はイワクス船という聞きなれない船に乗せられて捨てられた という話が本当なら

 

海の潮の流れ上 茨城から関西の方へ 上流から下流に流れる とはなりませんから

なにか矛盾を感じますね

 

このイワクス船はなんなのかと!?考えて、略すと岩舟になり、

 

千葉県の御宿の北に岩舟という地名も残っている事から

これは本当にこういった由来での地名であるかな~と

多少考えられますね

 

岩舟の浜は崖下にこじんまりとした浜辺があり

崖の上からは小さな滝が流れ落ちてまして

 

その名の由来と、行われたこととの雰囲気には

隠蔽される寂しさと、託される希望への雰囲気的なものも感じまので

ちょっと繋がるかもな~とか思います

 

 

でまた

 

筑波山の筑波神社の近くにこの和歌姫の神社とされる

歌姫明神というものがあるそうで

 

まあ、第一のあやでも出てきますし

実在は確かなのだろうと思いますね

 

 

で、話を戻しまして

 

 この後、

イサナギとイサナミ

の二柱は、

 

浮橋の上でオノコロの印相(いんぞう)を契って後に建てた八尋殿(ヤヒロノトノ)に立つ

天御柱(アメノミハシラ)をお互い巡って男の子を生もうと話し合いました。

 

 先ず言挙(コトアゲ)の儀式に、女は左廻りに男は右廻りに別々に巡り、

お互い出会い頭に女神は、「アナニエヤ(なんとうれしい)()(おとこ)

男神は答えて、「ワナウレシ(わあうれしい)()乙女(おとめ)」と相歌い一緒に交わってはらんだものの、

 

その子は月満てず流産してしまいました。

その子の名前をヒヨルコ(未熟児)と言い、泡の様に流れ去りましたので、この児は子供の数には入りません。

 

葦船に乗せ、吾が恥と流した先を淡路島と呼びました。

 

 この不幸な出来事を天神に告げ相談したところ、

早速太占(フトマニ)を占って天意を伺っていわく、

「先の五()・四()の歌は事を結ばず。と卦()に出ている。

 

又、言挙(コトアゲ)も女が先に立ってはいけない」との神託があり、

なお続けて嫁法(とつぎのり)についてのお話がありました。

 

 「トツギと言うのは、そもそも古来からの言い伝えによると、二羽の一つがいのセキレイが知らせてくれたものと言う。

 

先ず雌鳥(めんどり)が尾を揺り動かして鳴き、その時は雄鳥は一声鳴いて飛び去ってしまう。

又ある日今度は雄鳥が誘うような態度を装うと、雌()がそれを悟って合い交われば、

これは天からの啓示で鳥に告げさせたので鳥告法(トツギノリ)と言うのである。

 

この話が後に嫁ぐという語源ともなったのだ」

 

 

 両神は改めて宮に帰ると、新たに御柱(みはしら)を巡り直しました。

男神は左廻りに、女神は右廻りに巡り合った時に先に男神が天(アメ)の天地(アワ)歌を歌いました。

 

 「アナニエヤ(ああなんてうれしい)(うま)し乙女(おとめ)に会いぬ」

その時、すかさず女神が答えて歌い「ワナウレシ(わあうれしい)(うま)し男に会いき」と

歌い和(やわ)して、天()と地()を胞衣(えな)として国の再建に励みました。

 

再統一なった島々の名は、最初はヤマトアキツス(大日本豊秋津島)で、

次はアハヂシマ(淡路島)、次イヨ・アワ二名(ふたな、伊予・阿波二名島)

オキ三子(みつご、隠岐三子島)、ツクシ・キビノコ(筑紫島・吉備児島)

サド・ウシマ(佐渡島・大島)の大八島を再建しました。

 

 後に海や河の幸を生み、木の祖(オヤ)神のククノチ神、草の祖神のカヤノ姫、

又ノズチの神も生成し終えると、ハラミ(蓬莱参)の宮にしばらくの間落ち着かれて、

アワ歌の心をもって国を治めました。

 

 このように既に八洲(やしま)の国も生み終えて、

あとはいかにして日継(ひつぎ)の君を生まんとの思いがやっとかなって、日の神が誕生しました。

その神の御名を幼名ウヒルギと申し、この慶事を諸民こぞって称えました。

 

国の隅々まで天の日が麗しく照り通り、君(キミ)、臣(トミ)、民の誰もが一緒に明るい未来への夢を共有していました。

 

 イサナギは我が子とはいえ、君の放つ神威と威光がただごとでないのを知り、

「奇しき日()の霊()により生まれませる子を私物にはできない」と申され、

 

(高天原)に居られる豊受神の元に送り届けて、

天下国家の貴人となるべく御柱道(みはしらのみち)を学ばせるため奉りました。

 

 この時この喜びを記念して日の神の御誕生になられたハラミ山をオオヒヤマ(太日山)と改名しました。

 

 御子を心からお迎えしたトヨケ神は良く考えた末に、

元旦の若日とともに生まれました君にワカヒト(若仁)と真名(イミナ)を捧げました。

という事でこの時に生まれた子供はアマテラスで男の子である訳なんですね、

 

そして、生まれた山はハラミ山 富士山のことで、

『ハ』はハホ菜、『ラ』はラハ菜、『ミ』は身草を意味する。

食すと千年寿命が延びるというこの千代三草を讃え、この三草が生える霊峰をハラミ山と名づけた

 

またこの富士山は中国では蓬莱山と呼ばれ

始皇帝の時代に徐福が目指して出て行った約束の地でありますね

おそらくたどり着いた!?と思われます

 

 

天橋立の近くに新井崎神社がありまして

そこに徐福は来たとされています

 

ちょっとここら辺 

徐福について 

深く掘っていきたいと思います

この徐福は物部氏の祖にあたる人である説がありまして

 

秦の始皇帝に仕えていたとされ

始皇帝には東の三神山には不老不死の薬がある と言い

 

始皇帝は不老不死を得るために躍起になって

水銀まで飲んでいたくらいですから

徐福に行ってこーい!と命令するんですね

 

1度目は失敗

で2度目に出るときに、

若い男女ら3千人と、金銀財宝、農耕器具、周辺技術関連をもって出たんですね

 

この金銀財宝はいいとして、

農耕器具と技術というのは

このもの達はユダヤ系の部族だったのでは!?と考えられます

 

で、この中にはだいたいの部族ごとに分かれていたり、

また混血したり、仲良しグループも、そうでないグループもあったかと思います

 

この時代というのは、まあ古来中国では東の海はけ外の地としておりまして

海を渡る技術もほどほどで、そして一度失敗していることからも相当なリスクがあります

しかも秦が出来た当初は人心、田畑皆荒れている そういう時代だと伺えます

 

そんなときに農業技術関連者や農機具なんかも大量に運ぶというのは

ちょっと過ぎたることだと思います

 

おそらく海で沈んでも良いもの達、

自分たちとは違う民族、もしくは何かしらの背景上行かせても良いとされる集団を

選ぶと思います

 

自分が始皇帝だったら

不穏分子は必要ありません

それが訳のわからない民族ならなおのことですね

 

他には

お世話になった民族であったとか、

その為に中華統一の動力源になってくれて借りがあった集団なら

願いを聞き入れても良いとかなります

 

まあいずれの事情かは解りませんが、

渡っていかせるのは東の地に行っても良いと思っている集団だったのではないでしょうか!?

 

しかし、全員行かせると

帰ってこない時が嫌だから半分か、少し残すんですね

 

それはその集団の族長クラスを残しておけば

集団も徐福の行動を監視しなくてはならなくなりますし

ある意味一石二鳥です

 

 

ここで

また前に作った動画 帰ってきた10支族 弓月君のところで

秦の始皇帝の2代目の代には皇帝一族と弓月君(後の秦氏)の一族が

縁組していた ということがありましたので

 

やはりあの手この手で10支族はおのおの 

約束の地である 日本を目指していたのではと考えられます

 

徐福の提案は渡りに船

もしくは

徐福に入れ知恵したか、まあなんらかの調略をしたとみれます

 

で、一度目の失敗から

今度は海の部族の噂を聞きつけ、

イチキシマヒメのいる海の部族と合流

 

ホアカリはおそらく部族族長で

この姫も海の部族族長で 二人はできてしまい結婚

 

そして遥々 冠島、沓島に到着し天孫降臨とされる事象になり

入国開始 というか 入植開始でしょうか!?

 

その島の手前にある

新井崎神社の御祭神はコトシロヌシとありますが、

七福神の一人恵比寿様と徐福が祀られております

 

 

そして戻って

彼らユダヤは知識こそ財産なので

いろいろと手に職もっていて役立ったでしょうし、宝物の類も力を発揮し

 

当時の人にしてみれば大変な船団が来た! 

そういった評判へと成長していったのはもうお判りの通りと思います

 

そりゃあそうですよね!?

 

稲作をのんびりやっていた現地人にしてみれば、

こんなに宝物をたくさんもって現れたら そりゃあ神様かと思いますよね

 

しかも文化的にも知らないことをたくさん知っていたということもあった訳ですし、

 

徐福イコール恵比寿様なんですね

 

そしてあとまたこの国に重要な

繋がるものとして

 

古代天皇や神道、おそらく卑弥呼の邪馬台国にも

切っても切り離せない

今の世で禁止されている大麻という神の草についても

 

この新井崎(にいざき)神社の近くにはガンジャガハナという

ハナつまり海に突き出た岩場みたいなところがありまして

大麻はインドなどではガンジャとも言ったりします

 

これはやはり大陸を渡ってきた民族しか知り得ない言葉だと思いますし

そのガンジャガハナの名前の由来は解らないのですが、

 

いつ どこで 大麻が 大陸から渡ってきて

日本の神道にも利用される様になっていくのか といった過程も

 

この徐福が大量に運んだ人々が 失われた10支族が

この丹後半島の地に辿り着いたとしたら本当に色々と繋がっていきます

 

 

この新井崎神社の近くには冠島と沓島もあり

ちなみにこの冠島の下の海の中には海底遺跡もあったりしますし

 

ここの御祭神はホアカリとイチキシマヒメなのですが

これは元伊勢宮である コノ神社の御祭神の ホアカリのことで

 

ホアカリは 饒速日命であるとされたりしますが

自分はそうは思ってはおらず

 

 

ホアカリと饒速日は別人だと思います

 

同じ民族だったかは解りません、、

姿形や肌の色は違ったとは思いますが

中身はユダヤである そういったことはありうるかと思います

 

コノ神社ではホアカリは養蚕と稲作を広めたとされています

あくまで自分の感ですが、これは弓月君の一族ともかぶりますから

ホアカリは10支族のユダヤ人であったのでは!?と思います

 

しかし、徐福についてはニギハヤヒと同一人物だと思います

 

饒速日の漢字は 饒という難しい字と速度の速にお日さまの日なのですが

 

この饒の字を解りやすく説明すると

意味は豊かであり またにょうと読むこともでき

 

これは程度・等級・身分・地位などが優っていること

食べ物が器に高く積もって豊かなこと とあり

 

この饒の字は 福 の字の意味とかぶりますし、

またホアカリの一団を連れてきた という事実は

豊かさを連れてきた という意味で そういう意味でもかぶると思います

 

なので 饒速日は徐福だった そして後の恵比寿様になった と思います

 

しかし徐福、饒速日は

来日してできるだけ速く蓬莱山である富士山に向かったと思います

 

先ほど述べた様に大陸支那の秦にはまだユダヤの部族が残されているからです

行かざるを得ません

おそらく何人かお供もいたでしょう

 

もしくは直ぐにでも行きたい理由としては

 

今自分たちが上陸したこの地では

6代目に世継ぎがいないという事実があり

7代目を任される予定のタカヒトがイサコと共に蓬莱山にいて 

 

しかも アメノミハシラを回ってユダヤの結婚の儀を行なっている

ああ! これは千載一遇のチャンス となります

 

そして

饒速日の速いと日の字からもなんとなくそう推測してしまいます

 

そして、やっとこ辿り着いた蓬莱山。

 

そこでアマテラスを生んだとされる

イサナキ、イサナミに関与してくるのでは?!とか考えられます

 

時代背景もおそらくバッチリ紀元前二百年くらいと年代も合いますよね

だいたいこんな感じで

 

徐福が日本ではニギハヤヒになり恵比寿様となり

その貢献具合といい、

日の字が入るのは神ですから

まさに神上がりしていったんですね

 

 

だいたいこんな感じで信仰されていきますが、

このあと徐福は残された家族のためにも

不老不死の薬を求める旅に出てしまうんですね

 

あと、

一緒に来た

 

ホアカリとイチキシマヒメ

は結婚し

 

その子孫は尾張氏、津守氏、海部氏に当たるとされているので、

やはり、それぞれの人種がおおまかには部族ごとに別れて

家を継いで行ったのかな~とか

最初は集団で暮らし始めたのでは!? そう思います

 

それで海部氏にあたる一族が作ったのが

コノ神社になると考えられますね

 

コノ神社は海部氏の古代家系図を受け継いでいますからね

 

 

そして

徐福、ニギハヤヒの子孫は

穂積氏となり そこからまた物部氏になっていくという説があります

 

この穂積氏は後の世で天孫の一族とされておりますので

このことから考えると徐福は10支族のユダヤ人であり、

 

中華系と交わったか、どの部族かのリーダーの血統だったのか!? と考えられますね

穂積氏  穂を積む とは何の穂を積んでいたのでしょう!?

 

ということで、

イチキシマヒメは瀬織津姫であるとされていますが

 

瀬織津姫は海の一族であったという説と

瀬織津姫は弁財天の元になるという説があり

 

弁財天はインドから来た女神であり

ガンジャ、大麻を運んできたのなら

さっきのガンジャガハナともかなりの繋がりをもってきますし

 

船の中で大麻の種や穂を

ニギハヤヒに渡していたなら

のちの穂積氏の事も無理やりかもですが繋がります

 

そしてこの弁財天や恵比寿様と言えば

七福神で

この七福神に現代の我々が持つイメージも

 

船に富を乗せて運ぶ 7人の神様 

まさにそのものだと思います

 

大麻吸ってエンドルフィン出しまくってみんなハッピー!

このイメージそのものだと思います

 

 

あと、また

コノ神社の周辺、天橋立のあたりに

智恩寺というものがありますが、

 

この智は昔は知るという字だったと思われ

しおん寺だったと自分は思います

 

シオンとはヘブライ語でザイオン お宝を指します

 

ここには

しかも多宝塔といって多いお宝の塔というもがありますので

 

徐福の連れたユダヤの一族の来訪とその始皇帝のお宝を受けた

ということとも繋がるかと思います

 

また京都の有名なお祭り祗園祭も

シオン祭ですよね

 

あからさまに中東風な西洋画を

お神輿していますよね

 

 

あと

 

徐福の家族は中国江蘇省の徐福村に残されていた

実在の人物だと確認が取れている ということがあります

 

このことからも

徐福出発の際は

すでに家族には先に

もう帰ることはないかも!? と言い残していたのでは!?と思います

 

まあその時は帰る意思があったとしても

日本で神扱いされたら

帰らなくてもいっか~ ってなりますよね

 

で、ここでは先ほどから触れたい点、何が言いたかったのかというと、

 

 

この徐福、ニギハヤヒ達の存在と イサナキ、イサナミの子 アマテラス

なにか関係があるのでは!?と疑いを持ってしまいます

 

 

アマテラスが生まれる前のときは

アメノミハシラを女は左回りに、男は右回りに別々に回り

 

出会うと女から歌い始めて男も続いて歌い

そこで交わってヒヨルコが生まれたが 流産したので淡路島に流したとされています

 

そしてその失敗からフトマニでもって占いをして

今度は男は左回りに女は右回りをして

出会った先で男からアワ歌を読んで 続いて女も歌い

アマテラスの誕生に至るのですが

 

この柱を回って結婚するというのはユダヤの儀式にある様なんですね、

 

ちょっと大胆仮説かもですが、

アメノミハシラがこの名前の持つ響から

富士山の事だとすると

 

イサナキは富士山の頂上に1000日お祈りに出かけた

ということなので、これは実際無理な話ですから

本当は1000日くらいかけて富士山をアメノミハシラとして 

その周りを回っていたのでは!?と思います

 

で、一度目はヒヨルコが生まれましたが

その後に、イサナミは違う人に変わった!?と思うんですね

 

これは都合の良い時だけ古事記を持ち出すのですが、

イサナミは黄泉の国に行ってしまうんですね

 

イサナキは黄泉の国に行き連れ戻そうと黄泉の国に行きますが、

すでに死者の姿のイサナミはイサナキの愛に答えようと、

戻れるのかどうかを!?黄泉の国の神に相談します

 

決して覗かない様にと言われてありましたが、

 

この間が長く、

イサナキは変わり果てたイサナミを見てしまい、

イサナミは あなたは私に恥をかかせましたね と言い、

 

1500もの化け物たちと追ってきまして

イサナキも これは無理だ! と 逃げ始めます

 

追ってきたイサナミに かづら や くし を投げて逃げまくります

そして最後に結婚の象徴であった桃の実を投げて逃げまくります

 

 

黄泉の比良坂でイサナキはイサナミに 離婚をしよう と申し入れます

 

するとイサナミは 愛しいあなたがこのようなことをされるのであれば

わたしは一日にあなたの国の人間たちを千人殺してあげましょう。」

というと、

 

イサナキは、

「愛しい女神よ。あなたがそうするなら、わたしは、

一日に千五百の産屋(うぶや=出産のために建てる家)を建てましょう。」

と言い二人は別れた感じになります

 

 

そして黄泉の国から戻ってきたイサナキは

左の目を洗ったらアマテラスを

右の目を洗ったらツクヨミを

鼻を洗ったらスサノオを生んだとされています

 

この様な話が古事記には記されており

 

また前のアメノミハシラを回るくだりは逆に古事記には記されていない事から

 

都合の悪いことは載せない

都合の良いことは載せる

都合の良くなる事は 都合の良くなる様に乗せる

後にできる歴史書の性格上

こう行った事は必ずあると思います

 

なのでこのルールを元にそれぞれを読むと

隠れた見 神が見えてくるという事だと思います

 

この辺のことで起きた事というのは

あくまで自分の推測ですが、

 

この2回目の富士山を回っている時に徐福ニギハヤヒに出会い

その中にいた女性の中に、姫か美しい人がいて、そして異国人だしとても惹かれてしまい

 

イサナキは氣にいって そっちに乗り換えたのでは!?と思うんですね

 

 

おそらくですが徐福側は

イスラエルから大陸をず~っと 

 

この手で乗り切ってきた一族ですから

周到に用意された戦略があったと思います

 

 

ここも自分の推測なのですが

イサナキが旅の道中いる場所が解ると

 

その先の山あいの狭いところなんかで待ち構え、

言葉が通じなくても意識に深く入り込むために

持ってきていた大麻を使って煙を炊き匂いで誘い雰囲気を出した 

 

そういった演出を行います

 

そうするとイサナキの意識の中では

そこにいる異国の女性、しかも美しい しかも姫だと知ったら

それは一瞬で恋い焦がれるものに変わると思います

 

なので、もしイサナキにその氣がなくてもそうなる様に

鳥が継げる様な演出も行ったかもしれません

 

10支族、ユダヤはこうやって国の権力者に近づいては

その血統に取り入り、子供を王子にする事で、

 

自分たちの立場や命を守り、且つ、

利権の確保をするといった習性をもって大陸を抜けてきたと思いますから

 

何かしらのトリック、調略、もしくは大麻吸引からのラブロマンスメイク、

こう行った事をしたのでは!?と思います

 

最初の一年で本当のイサナミと出会うまで富士山を周り

出会って子供を産んだけど 男児ではなかったのでもう一回になった

その時に出会ったイサナミではない女性に恋をしてしまい

そこで富士山の麓で待望の男児アマテラスが生まれる

 

しかし、イサナミは実力者タカミムスビ分家とは言えトヨウケカミの娘ですし

タカミムスビ家としてもイサナキの裏切りは許せません

 

トヨウケカミは8000回もの禊を行なったとされていますので

最初は二人の子が国を継ぐ事を祈り男児が生まれる事を祈りながら禊をし、

 

とちゅうで事の経緯を知ってからは

なんとか娘イサナミがイサナキと復縁しうまく行ってくれる様に

 

そしてイサナミが離婚を言い渡された後は

イサナミの心を慮ったり、我が身に降りかかった最低な運命がなくなる様に

残りの人生を禊で過ごしてくんですね

 

 

しかし、最初のイサナキの裏切りを知った時は

激しく怒りを覚えたと思います

 

タカミムスビ家の威信にかけメンツを取り戻すためにも

1500人もの兵士を娘に従えさせて、その行いを正させようと追わせます

 

イサナキもこれは許されぬ事をしてしまったと思い

イサナミにも義理の父トヨウケカミにも惡いから

逃げる様に旅をしていきます

 

イサナキは

逃げている際に島根県出雲市東出雲町に実際にあった黄泉の比良坂で

イサナミに見つかって話し合いをしたのでは!?と思います

 

日本書紀の注意書きに 黄泉比良坂で言い争っていたイサナキとイサナミの仲を

ククリヒメが取り持った という事ですので

このあとイサナミは最終的には和歌山県熊野に没します

 

スサノオはソサという国で生まれたとされていますが、ここは熊野ではないか!?と考えられます

 

熊野という場所は現代的にも相当な僻地ですから

その昔はなおのこと酷く人目にも触れないでいられるところだったと思いますので

まあ、なにか悲しい運命を感じてしまいますね

 

こう考えると

日本では脈々と続くとされる天皇の先祖に当たるイサナキが

イサナミを裏切っていたのですから

 

隣の国の神話がレイプから生まれた男が国主となるなんていって馬鹿にはできませんね

イサナキ、イサナミとワンセットにするイメージングがある様に感じるのは

人々の模範になるべきところだからなんでしょうね

 

だからこそのタカヒトとイサコからの改名でイサナキ、イサナミなんでしょうね

 

そうですよね!?

 

おそらくここからが本当の天皇家のルーツにあたるのではと感じます

それっていうのは

なになにヒト と なになに子 で終わるネーミングに

その辺のルーツ的なものを感じます

 

6代目は オモタルとカシコネでしたもんね

 

なんかがっかりというか

だから天皇家のルーツは隠しておきたい様になっている感じなんですよね

 

それでは長々と徐福話から逸れていってしまいましたので

 

そろそろ本編に戻りまして

 

 

 この後、両神はツクシに御幸され、この地で生まれた子の真名(イミナ)をモチキネと名付け、

称名(タタエナ)をツキヨミノ神と呼びました。ツクシは以前ツキスミの国ともいい、

日の出とともに月の沈む隅の国の方角にあったからです。

 

丁度月は太陽の光彩を受けて輝くように、日の神アマテルのお陰により輝く月として、

日に次()げと宮中に上げアマテル神を補佐させました。

 

 以前、穢(けが)れや禍(わざわ)いを祓うために川に流し捨てたヒルコ姫も、

今は慈(いつく)しく成長され、天照神の妹神として宮に上がり、

 

名もワカヒルメと変わって、花の下(もと)で母イサナミから歌を教わりつつ、

静かで平和な時を過ごしていました。

 

 

 丁度花の季節の頃、ソサ国で末子として生まれたのが、

真名(イミナ)ハナキネ、称名(タタエナ)ソサノオです。

 

ソサノオは常に雄叫び泣きいざち、その悪行から国民(くにたみ)に多大な迷惑をかけて

母イサナミを苦しめていました。

 

イサナミは、息子ソサノオがこの様に荒れて世間に隈(くま・災い)をなすのも

全ては自分の汚穢(おえ・穢れ)によるものと深く悩んだ末に、

 

民に降りかかる災害の責任を全て我が身に引き受けて民を守るために、

息子の厄を除く祈りからクマノ宮を建てました。

 

 このように御心を尽くしてお生みになったのが一姫三男神(ヒヒメミオガミ)で、

このお子達により君、臣の道も再び確立されて子子孫孫までも国の平和が約束されました。

 

 なによりも尊い瓊()の教えを守り、もしも諭(さと)してもなお逆らい戻(もと)る者があらば、

断固として逆矛により制するこの偉大な二柱(ふたばしら)の産殿(うぶどの)は、

天のハラミ(アマテル神)宮とツクバ山(ヒルコ姫)、アハジ(ヒヨルコ)

ツキスミ(ツキヨミ)、クマノ(ソサノオ)の五か所です。

 

 

 

といった感じで終わるのですが、

ここから思い感じるのは

 

スサノオは一旦、イサナキとイサナミが縁を戻した時にできた子供なのでは?!

 

という事を感じます

なので本来正当な

国の主人となるべき人だった

 

しかしアマテラスに正当性を持たせたい勢力には敵わず

後の世で 惡い風に書かれまくる 

 

 

これも歴史に残される事のルールから

惡い事を書かれる=隠れた正当性を持っていた疑いがある

このルールに引っかかります

 

 

なのでこの時期の日本は

旧勢力の代表スサノオと新興勢力の代表アマテラスとの確執があった

ということも推理できるかと思います

 

スサノオは母イサナミの事を思う親孝行であり、

自分の王の資格 その正当性も世に触れて回っていたからこそ

悪者にされたのではないでしょうか!?

 

そして一旦はこの国を明らめ

 

朝鮮半島南部に渡り新羅の元となるものを作りますが

やはり この地 我いる事を欲さず と発しているのが

日本書紀にありますので

 

そこから考えて 徐福のやった様に

兄アマテラスが受け入れられている様に自分がなるためにも

 

ある程度の宝物や技術を

出雲に運んで行ったのではないでしょうか!?

 

この辺の考察はまた長くなると思うので

次回になります

 

 

今回の

ヒヒメミヲウムトノノアヤ

 

一姫 3男 産む 殿のアヤと訳されていますが、

 

自分は

悲しいヒメ様という身を生む 殿の あやとヒヒメミヲウムトノノアヤと訳してしまいます

 

もしくは 隠し事、秘め事という意味での 秘 を秘めるというヒヒメであり

隠す事、秘密で押し通す事で

 

後にこの国において実を生む といった感じのヒヒメミヲウムでしょうか、。

 

ネーミングも絶妙でオオタタネコの知恵の高さを感じますが、

 

やはり徐福、ニギハヤヒによる ユダヤ人による

イサナキと誰かの恋愛からのアマテラス誕生の話が抜け落ちてしまっていて

話に矛盾が生じている様に感じます

 

というのも、第一子はヒルコヒメこの方は筑波にいて流されてなどおらず

立派に成人されて和歌姫になっているが

流されたとされ大阪のカナサキに拾われたことになっている

 

これは潮の流れ上あり得ないし

ここにヒルコとヒヨルコをごっちゃにするかの様なトリックを用いていると思えます

 

第2子ヒヨルコは 流産となり

淡路島へ流されたとされますが、

 

これも富士山、静岡から流されて

淡路島にたどり着くわけなどないので可笑しいですし

 

 

四国の今治にあるえんのおづのにより開闢されたとされる石鎚山の御祭神は

 

石鎚彦の尊といい

イサナキイサナミの第2子であり

アマテラスの兄にあたると書かれています

 

これが本当だとしたらアマテラスは2男だが

なにかしらの理由により正当性を継ぐものの地位についていく事になりますね

 

 

そしてイサナキは

1000日富士山に登って男児が生まれることをお祈りに行っていたということから

これは富士山、アメノミハシラ周りとお祈りの回数をごっちゃにしていると思われ

イサナキは本当は新しいユダヤの女に会いに行っていて、その女にアマテラスを産ませたんですよね

 

しかし、

それが発覚した時はイサナミは孕んでおり

どういうことか!?となり

逃げたイサナキに会いにいく

 

そしてイサナミは悲しみ、裏切りへの不信感、怒り、そういったストレスと

旅も身重の体で急いだので 流産してしまう

 

その場所が淡路島だったのでは!?ないでしょうか。

 

その後、自分の故郷である出雲へ

女とアマテラスと一緒に帰った

 

そこでもまたイサナミと1500の兵隊が押し寄せ

私に恥をかかせたまんまなら

この国の人間を毎日1000人殺しますよ と言ったので

 

イサナキは離婚してくださいと申し出るのだが、

 

それはもう国を挙げて周知の事実であり

それを飲むことなど

国の乱れにつながるなどと激しく口論に至ります

 

イサナキの出雲は国力的にもタカミムスビや6代目オモタルの国力には到底叶いませんので

ではアマテラスとこの国を渡すから見逃してくれ

と言います

 

しかし、それだけでは許される筈もなく

もともと自分たちの国なのだから譲るも譲らないもない

 

私たちが作り上げる様にと オモタルには詔を頂いている

となり、

 

その際イサナキは

腹の中ではもうユダヤの女と離れられないとはなっていますから

 

イサナミに対しては

では解った

 

もう明らめて

お前の元に戻るとしよう

 

それが国のため万民のためだ

 

義理の父トヨウケカミのところ宮城県に

アマテラスと先に戻っていてくれ!

 

私は彼女を説得して必ずお前のところに戻る

と言ったと思います

 

 

しかし、実際は

更に西へ

ユダヤの女との情事に負けてしまいます

 

これはユダヤの女が大麻の力を使っていたかもしれません

 

そしてひたすらタブラカス

ひたすらラブロマンスに励み

運が尽き 事が住むまで

ひたすらラブロマンスをします

 

 

その場所があわきはら

本当は浮気はらだったかもしれません

 

浮気をした原っぱと

腹の中は浮気でいっぱい

こういった二重、三重の言葉のネーミングを

古代人は好んでいる様に感じます

 

 

そしてその

 

実際は宮崎県うわきはらで産まれたツクヨミですが

 

月隅で産まれたとされているのには

イサナキの 運の尽きと この国の隅まで逃げた情けない男

と言った感じのことを揶揄した様なものに感じます

 

で、その時その場には

イサナミが到着しており

 

もう一度直談判になりますが

これはもう信用ならないし

聞き入れるわけにはいけませんので

 

禊をさせた んですね

 

おそらく イサナキはあそこを切らされることになったと思います

 

ひょっとしたらこの時はイサナミが必ず情に流されると見て

トヨウケカミも付いてきて兵の指揮をしていたかもしれません

 

で、イサナキはあそこを切らなかったと思います

なぜならユダヤの女ともうヤレないからです

 

そしてまた逃げた

高千穂の山の方へ

 

しかし、この時はもう

生きることは許されません

 

なので無事タカミムスビ家当主の手により

イサナキは成敗された と思います

 

黄泉の国に着いたのはイサナキだったと思います

イサナミではなくイサナキが黄泉に着く

 

黄泉に着くを逆に読むとツクヨミ

 

 

そういう訳で

 

2000年後の今、

誰もそのいわれを知らない逆鉾が

高千穂の峰に刺さっているのでは!?

 

 

そして

イサナキの幽宮とされる場所が淡路島にありますが

 

そこにはタカミムスビ一族が屍を収めたか、

もしくは高千穂あたりに埋めてきたけど

 

帰り際に四国ルートで帰ったので

淡路島を通ることになってしまい

 

その際、島民が前に見た

イサナキ様とイサナミ様は?!という話にでもなってしまい

 

トヨウケカミかイサナミが

ここで死んだものとして弔ってくれないか!?

として話をつけたかも知れません

 

そして宮城まで帰る際に

イサナミは旦那イサナキなしでは

国民に馬鹿にされるのが目に見えています

 

この先の辛い人生が解りきっていたと思います

 

なので自分もこの世の隅へ

隅と書いて 熊とも読みますところ

熊野の地へ行ったのでは!?と思います

 

 

そして最後に宿した子

スサノオ

が誕生し

生活を送りますが

 

スサノオはやがて人々に事の真相を聞かされると

親父のだらしなさ、ははの可哀想な境遇、アマテラスという兄への嫉妬

色んな氣持ちを爆発させながら育ったかも知れません

 

で、いよいよ母にも真相を迫り

やはりそうであることを知ります

 

その真相を知って以降

いよいよ 素直でまっすぐなスサノオですから

自分のこと母のことを悪くいう人間には仕返しをします

 

そうして問題ばかり起こすので

ただ幸せに平穏に世の果てに来たつもりだった

母の心を傷つけます

 

そのうちイサナミは

息子スサノオがいたずらして駄目にした分の

田んぼに対し、人々にお返しをするために

 

焼畑をしようと山を焼くのですが

その際に火に巻き込まれ死んでしまいました

 

これは他殺かも知れませんし、

自殺だったのかも知れません

 

おそらく、どこにも希望を無くすくらい

悲しい姫としてもヒヒメ、

 

炎の火に姫の身を埋める様な結果にしてもヒヒメということで

 

ヒヒメミヲウムになってしまった氣がします

 

そして熊野の地にはイサナミの遺体が置かれたとされる

岩が花の岩屋神社の上にあるということで

なんとも悲しい運命です

 

ここでイサナキもククリヒメも登場する話もあるのですが

もし本当に一緒にいたなら

炎に焼かれることはなかったのではないでしょうか!?

 

焼畑をするのでしたら炎には十分氣をつけると思いますし

普通に考えて巻き込まれて死ぬというのは海も浜辺も川もありますし

ありえません

 

で ここでイサナミの焼かれた遺体を

花の岩屋神社の大岩の上に置いておいたのを

イサナキが見に行くのをククリヒメがおよしなさいと言ったが

 

イサナキは見に行ってしまい

黄泉の国のイサナミに命じられた醜い女と書いて醜女というものに

追われてしまうということなのですが

 

怨念の様なものを感じますね

自殺か他殺か解りません

 

自殺なら希望を失っていた状態で

 

他殺なら納得のいかない死

 

どちらにせよ怨念の矛先はイサナキに向けられている

そういったものを感じます

 

 

それと、このちょいちょい出てくるククリヒメ

イサナキの姉という事ですが本当なのでしょうか!?

 

出雲ではイサナキイサナミの口喧嘩の際に登場し

ただ一言仲裁しただけで イサナキは帰らないといっていたのを

その心を変えてみせていますし

 

アマテラス誕生前には 

おぎゃあおぎゃあ泣いているのを聞いて

この子は 我はウヒルギです と言っていると

 

赤子の泣き声を通訳したり

白山に祀られていたりして

白山に祀られるということは

 

白山、立山、富士山は

日本三大霊山とされています

 

白山はククリヒメ

立山雄山神社はイサナキ

富士山浅間神社(せんげん)はコノハナサクヤヒメ

 

富士山に関しては

 

イサナキより後の時代のサクヤヒメが

白山、立山より標高の高い富士山周辺の神社の御祭神になるには

訳が絶対にあるはずです

 

サクヤヒメはアマテラスの孫のニニギノミコトの嫁にあたるとされる人物です

これは後の世に変えられていったものと考えられます

 

富士山周辺には他に神の明かりと書いて神明神社というものがあり

そちらはアマテラスが御祭神になります

 

どう考えても日本で一番位に祀られている

アマテラスをその孫の嫁が見下ろす形はおかしいです

 

 

富士山が名前をハラミ山や蓬莱さんから変えていった様に

ここの御祭神も変わっていったと思ってしまいます

 

もしくは後の権力者にとって都合が良い事になっているとは推測しておきます

 

浅い間の神社ですからね ネーミングもおかしいですよね

本当は何かを宣言しディクレアの意味で宣言した

そうお思いますね

 

もしくは浅い間の人とイサナキができてしまっていたのを揶揄して

この花は夜に咲く花 と 浅い間 とか 何か違和感を覚えます

 

で、ちょっとそれたので

言いたいのは白山と立山雄山が

石川富山とお隣に並び 連なった先にある同士なんですよね

 

そして

 

イサナキとククリヒメ

兄弟だとしても納得がいくし、

本当はイサナキの新しい奥さんだとしても納得がいくかと思います

 

まあ、これだけ

日本の歴史というか天皇家の歴史というかは

ケムに巻く構造をもっていますので

 

唯一理解できるのは

どれだけ真実に迫られたくないのか!?

 

という事は理解できますねw

 

この原文を読んで

素直に感じるものを今の言葉で表現すると

 

やはり

この辺のイサナキの悲しい行いと

それ故のイサナミの悲しい運命が記されたアヤだったのではないかと

感じてしまいます

 

そしてイサナキは最終的にどうなったのか!?

 

古事記では多賀城(宮城県)に行ったとされていますが、

自分はそうは思えず、

 

もし行っていたとしたらそれは

タカミムスビの勢力に捉えられて

よくも恥を掻かせてくれたなー!ということになり

良い風にはされなかっただろうから 

 

なんとなくですが、

高千穂の頂上の逆鉾を考えるとそういうことなのかな?!

とかも考えてしまいます

 

まさに天に逆さに立つ鉾となった

そこで追い詰められて没したのでは!?

と思ってしまいます

 

またもし、多賀城に行っていたとしたら

何かしらの神社ができるとは思うのですが

 

イサナキを祀った神社の北限は埼玉、茨城止まりで

逆に淡路島にはイサナキ神宮がありここが幽宮であるとされていますので

 

ま、ここで亡くなられたか、所縁があったのでここでなくなった事にしたか

だと思います

 

また

おそらくですが、

 

イサナキは宮崎のあわきはらでイサナミに禊をする様に言われ

禊の起源にもなっているとされていますが、

この禊 いくつか種類があると思います

 

普通に水で身を清めるものと、

語源になる みそぎ みを削ぐ という禊があったと思います

 

イサナキはこちらの後者の方を選ばざるを得なかったと思います

 

遠く宮崎まで追い詰められるにはそれなりの行いがあったからで

その報いとして禊をさせられます

 

おそらく、アマテラスが富士山の麓で生まれているので

誰かは断定できませんが、徐福の差し出した女性と一緒に自分の身を守れる出雲へ戻り、

 

しかし一度はそこ島根の出雲でイサナミに捕まり、

離婚しようとしたけど無理だったので

 

もう2度としない!と言う約束をさせられ

 

そしてでもそのイサナミではない女性がずっと好きで

そちらに行ってしまいツクヨミが生まれたところ

 

そこにイサナミがまた登場して

この嘘つきめ!ということで禊をさせられた というのが本当かと思います

 

まさに女の嫉妬とそれまでの超実力者の兵隊とその娘に追われている訳ですから

それは地獄も地獄、黄泉の国に行くや行かざるや そんな恐怖心をずっと持っていた

 

それでもまだあっちが好き 

 

まさに昼ドラとかサスペンス劇場の展開ですよね

日本人があれを好きなのはこういった歴史的背景があるからだったりして

 

まあ余計なことはいいとして、

 

 

この

という字

 

下にあって大きくなるものに

刀で切り落として それをもって示すこと 見て取れます

 

これは男の下半身にあって大きくなるものを切って示す行いを

漢字にしたのではないか!?と考えてしまいます

 

といった感じで、

やはりホツマツタエの性格は

下ネタ好きですよね

 

おそらくこれは間違い無いと思います

まあ、どの時代や世界でも共通言語みたいなもので

こういった要素があれば広く人に読まれ受け入れられますからね

 

また書いてる側も面白いですし、

 

 

あと最後にトノ教えというものが

最初の方のあやには良く登場してきたのですが

 

これは自分はひょっとしたらモーセの十戒、

その石版を元に作られたものではないでしょうか!?

 

 

といった感じで

 

 

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