本当の仏教

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  本当の仏教とは

     ということでお話を始めていきたいと思います。

 

 

 まずは仏教というと、あなたはどの様に思われているでしょうか!?

 

 お釈迦様、ブッダ、三蔵法師、日蓮宗、真言宗 何々宗 南無妙法蓮華ーきょー なんて色々出てくるとは思います。

 

  まず、

 

  現在、日本にある仏教っていうのはほぼほぼ大乗仏教と言いまして、

  本来の仏教から離れた姿になっているんですね。

 

  まあ、昔、日本に伝わった仏教っていうのは、

  インドで生まれ、原始経典を色々な人が解釈をし、大衆に理解しやすいようになったり、

  大陸を長い年月をかけて渡ってきたので、本来のものとは形を変えてしまったということですね。

 

  こと日本人に受け入れられたのものとして、

 

  初期の頃は公伝されたものが如何であったかはわかりませんが、

  聖徳太子の17条の憲法という 実に素晴らしい真理を含んだものを鑑みると、

  原始仏教寄りのものが到来していたのでは!?とも思えますね。

 

 

  やがて、大衆に受け入れられる仏教としては、

  誰もがこの御経を唱えることで、天国へ行けるとかって

  シンプル化したり、ある意味で楽になったものが多かったりして、

  庶民に根付きやすいものになったということなんですね。

 

  そう言ったものがさらに姿・形を変えて今の日本の仏教になっている ということですね。

 

  まあ、元の仏教に近いものもあるところにはある様です。

 

 

 では、本当の仏教とは!? と言うことになると、

 

  上座部仏教とかテーラワーダ仏教、長老の教え とかって言われてたりして、

 

  大阿羅漢の一人で、仏陀3番目の弟子であるマハーカッサパという人が、

  他の側近の弟子たち(大阿羅漢である)ウパーリやアーナンダたちとともに、

  仏陀の純粋な教えはこういうものである。 というものをまとめあげたもの。

 

  それらの経典を元に

  テーラワーダ仏教が始まったということです。

 

  では テーラワーダ仏教とは という事になりますと、

 

 ・ 四聖諦(ししょうたい)、因縁の教え、八聖道(はっしょうどう)や

 

 ・ 悟りを開いて解脱するためのヴィパッサナー瞑想 がメインとなり、

 

 ・ パーリ経典に記された、仏陀さんの教えから外れないように生きることを大切に生きるという姿勢であるというものですね。 

 

 ・ 立ち位置的には 大乗、小乗の元になる根本的な教えだ とされています。

 

 

 良く良く考えてみると確かに、、

 

  ゴータマの仏陀さんが悟りに至った経緯、過程というのは、

 

 まずは

  釈迦族の王子としても、いち求道者としても

  多くのリシ達に合う事で色々な、知識や悟りを吸収したことと思います。

 

 王子を辞めて悟りの旅に出て その旅の中で

 

  禅定に出会い、禅定から無所有処むしょうしょの境地 まあ空の概念と、

  アーラーラ・カーラーマ仙人の元で 非想非非想処という境地に辿り着いたけれど、

 

  煩悩が瞑想後にも続くことから、

  これは 私の求める悟りではない として、禅定を諦め、

 

  今度は苦行 まあ、多分ヨガの密教の部類の方だと思うんですけど、

  苦行 タパス を6年間するんですが、

 

  これは意志の力を強めたり、 超能力の分野が開花したりするということなのですが、

 

  仏陀さんが求めるのは悟りなので、 苦行の果てに 苦行には何の悟りもない と悟られて

 

 

  ズタボロになったところで、ナイランジャナー川で沐浴し、ニグローダの樹の下で坐していたら、

 

  その樹を信仰している、その樹に縁のあるスジャータさんが来て、ゴータマさんを見た時に、樹の神だと思い、

 

  そこで、いつも樹に捧げ物をしていたので、乳粥を差し出し 

  ゴータマさんはそれを食べて元気になり、

  ピッパラの樹、菩提樹の下で 

 

(ちなみに麻原彰晃もあそこで瞑想やってあの人の所為で、木の周りに柵が作られた)

 

  なんてどうでもよくてw

 

 

  その菩提樹の下で、

 

  「血が枯れ果て、肉がただれ、骨が腐っても、悟りを開くまではこの場所を絶対立たない」と決意して

 

  瞑想に入り、

  悪魔との戦いの後に 悟りを開いた とされています。

 

 

  悪魔との戦いというのは自分の持つ煩悩だったりとされていますが、、

 

  本当に瞑想中の意識の中に現れたとかって言われてますが、

 

 

 まあ僕の考えですが、

  瞑想中は、意識だけのピュアなスピリットになり、

  違う次元に存在があったりしていて、そこには悪魔的な心を持っている高次の存在というものが本当に存在していて

  それと戦ったのかな~ とか まあ 解りません。が、

 

  まあ、人が悟り この世界の真実が人々に知れ渡る ということが 

  高次の悪魔的存在にとっては都合が悪い というのはあるかもしれませんね、、

 

  人の心は真理を知りたがらない という教えも一部であるようですし、

 

  大宇宙としての自分が、その根本原理をこっちの世界にいる間に悟る事は

  何かマズイ と考えているのかもしれませんし、

 

 

 と、話が逸れましたが、w

  ついには瞑想の果てに涅槃へとたどり着いたのでした。

 

  つまりは瞑想で仏陀になられた ということですね。

 

  その瞑想は別名 滅尽定とも呼ばれていて、感覚、意識のはたらきをすっかり止めてしまう。

 

 

  身体の素粒子レベルから一切の活動が停止してしまう禅定(ぜんじょう)とされています

 

  もはや変態としか言いようがありませんよね。

 

  生きながらにして、死んでしまっている 空の概念の様になっている感じですよね。

 

  

 まあ、

 

 ここで、仏陀とは何か!? というと、 

 

  悟れる人、目覚めた人、悟りに目覚めた人 の意味、 名称、であり、過去に仏陀となられた人は

  ゴータマさんだけではない ということもヴィパッサナーで聞きましたね。

 

 

  仏陀になれる種は誰もが持っている、それを仏性という ということです。

 

  あと、そう、言っておかなきゃなのが、

  僕っていうのはヴィパッサナー瞑想に実は2回行っていますね。

 

  行ってる人からすれば全然ビギナーなのですが、まあ

 

  一度目はルンビニーってゴータマさんの生まれたところで行って、

  そん時の瞑想案内のカセットが、英語で、しかもカスッカスで全然聞き取れなかったので、

  登録用紙だけ書いて、やっぱ帰るって帰ったんですけど、

 

  その数年後に京都の北のほうにある瞑想センターに行きましたね。

  そちらでは良い経験、良い勉強をさせてもらいました。

 

  また瞑想の体験記みたいなのも動画を作りたいと思ってるので、

  興味のある方はぜひ見てくださいね。

 

 

  ということで、w

 

  毎回話が逸れて申し訳ないですw。

 

 

 で、まあ、経験して、学習させてもらいましたところの 

  経験からのお話も入っていますので、

  以後その様にお聞きくださればと思います。

 

  そして、ここからはゴータマ仏陀さんを仏陀さんと呼びまして、進んでいきたいと思います。

 

 まず、

  仏陀さんは自分の教えに対し、宗教という言葉を使わなかったし、宗教をしてはいけない 

  という考えを持っていました。

 

  仏陀さんは個人が高く悟る 為の 自分の教えに対し、

  宗教とは言わず、あくまで「この教え」と一生涯、言っていたんですね。

 

  宗教を信仰するということは他人、つまり宗教の権威者に己をコントロールされてしまうという事を見抜かれていたんですね。

 

  だから個人は無宗教であるべきであり、高い意識を持っているのが理想としていたのですね。

 

  今でも白人なんかのちょっと知っている人なんかは

  俺は無宗教だ だから俺はブッディストなんだ なんて言ってたりしますね。

 

 

  まあ、

 

  仏陀さんが宗教化したくないという考えに至っただろう背景としては、

  当時の北インド・ネパール周辺っていうのは戦争も多く、人の生活が乱れていることを見て、  

  それらが宗教による対立からだったりしていたのですね。

 

  だから宗教を信仰するのではなく、一人の人として高く悟ることで、

  解脱の道を進みなさい と言っていたそうです。

 

  それを考えると、

 

   今の日本の仏教会・仏教系宗教からは 飯の種を潰されるだろうこれらの真実の言葉との矛盾から

   これっていうのは受け入れられる事は未来永劫ないでしょうが、

 

   そこにある欲の芽は仏教的にどうなの!? とか言っておきたいところでもありますね。

 

 

  昔、とある街のソープランドのボーイさんとお話ししていたら、 

  客は坊さんばっかりって言ってましたねw。 世も末ですね。

  まあ、本当に熱心に信仰されてる方達にも迷惑ですよね。

 

 

 そして 仏陀さんはこうも仰られているんですね。

 

  「 生きているという事は、いろいろな物を欲しがったり、様々なものを集めたりするが、

    そうしたものは 何一つ 一切 頼りにならない 」

 

  「 自分を頼りなさい 頼れるものは自分だけですよ 」

 

 と、いつも言っていた ということです。

 

 

 まあ、

 こう言った感じだったので、

 

  この教えは普通の生活を送る人々にはハードルが高すぎるということも

  仏陀さんは同時に悟られていたのですね。、

 

  悟りを開いたときに、教える旅に出ることを しない とまで、 

  最初に考えていたのですね。

 

  まあ、その際は梵天が現れて、仏陀にその道を勧めた という経緯があって布教開始に至った

  ということになってます。

 

 

  これらを考えると、

 

  今の仏陀の再来とか言われる人とかで宗教を起こしている人っていうのは

  心根がビジネスですよね。

 

  喜捨の心を 都合の良い様に、形を変えて求めてますよね 見えない嫌らしい強要をしているというか、

  客観的に観ていると、自分の本やグッズを売ることにご熱心である風に見えてしまいます。

 

  何故、救心の心(人を救う心)があるのに無料で多くの人に配布しないのでしょうか!?

  なんならインターネットって無料でできますよね~!?

 

 まあ、また話が、、、すいませんw。

 

 

 で、

 

 仏陀さんはこうもおっしゃられています。

 

  「 自分自身が泥沼に引きづりこまれていたら、

    どうして同じ状態の人間を救うことができようか!? 」

 

  心はいつも不安だからこそ、瞑想と教えを元に

  何にも頼らない心を作り、完成させることを「 解脱 」と言い、

  それを目指すのがこの教え の目的であるということですね。

  

 で、

 

  仏陀さんが悟りに至った瞑想法 、これの実践 が本当の仏教であり、

  またそれに役立つ周辺の教えをテーラワーダ仏教では脈々と伝えている。ということになりますね。

 

  

  ただね~、 これがね~、、、 求道心の無い一般市民には

  果てしなく遠いと言うか、簡単でも楽でも無いし、人により超忍耐じゃん!と感じたりするし、

 

  一般受けが良く無いと言うか、まあそんな感じなんですね。

 

  その代わり、まあ 人によりですが、受けられる恩恵も計り知れないものもある と僕は思っていて、

  まあ、一度 経験してみるのは 本当にオススメできますね。

 

 

 で、その そこで受けた ヴィパッサナーの教えも

  

  とても為になるものが多いので、いくつかお話ししてみたいと思います。

 

 

  人間とは五感から様々な情報を持ってくるのだけど、心があるべきは善の状態であるので、、

 

  常なる観察 サティ(氣づき)により、いらない不善心を産む様な情報をシャットアウトすべきである

  としています。

 

 

 なので、

 

 「 心を観るのではなく、心の働きを観ること 」が大切であるということで、 

 

  瞑想により 氣づきを得ていくんですね。

 

 

 仏陀さん曰く

 

  「 ただ何もせずにいるのだから皆は死んでいるに過ぎない

    サティ(氣づき)がある人間は、不死である。 」

  と言ってるんですね。

  

  全てを合理的かつ客観的に観ること、

 

 で、

 

  私たちの心が綺麗になり、、自分以外の生命にも優しい心が作れる様になると、

  自分の病氣や痛みだけでなく、他人のそれまでが自分のことの様に感じられる様になり、

  その心で、自 他 ともに治していける。 その様になる それを目指していく ということです。

 

  ここでの優しい心とは思いやりの心のことで、誰でも持てるものとしていますね。

 

  最近では、仏性とはこれを指している感じで使いますね。

 

 

  だいたい根本はこんな感じで、さらにいくつかの教えをお話しする とすると、

 

 

 ・現代の生活リズムは人の健康が失われた時、氣で持って回復する余裕を持たせてはくれないもので、、

  それに対して、人間の本体のリズムはゆっくりとしたものなので、自然体で生きること を勧めていたり、

 

 ・私とは肉体をいつか離れるもの、次の世界に持っていけるのは自分の中のもののみである 

  自分の中のもの というのは 心 だったり、経験から学んだもの、精神に培われたもの などという事ですね。

 で、

 

 ・徳を積むことや心のエネルギーを良くすること を勧めていたり、

 

 ・心のエネルギー(波動)は 人に影響を与えている  とかあったり、

 

 

 で、

  また一方で、利他という言葉は実は仏教用語ではないとか、

  規範、倫理、道徳にある様な善悪の概念 2元性の概念はヴィパッサナーにはないとし、

  そういう心の働きを観ること、ありのままの自分を観ること を基本にしていたりしますね。

 

  まあ、悟りのレベルが高過ぎて、一方では矛盾の様に感じたりしますが、

  頑張ってついて行きたいところですね。

 

 

 ・2500年も昔に、仏陀さんはすでにこの世の全ては振動からできている ということを見抜かれていて

  色即是空、空即是色と 空の概念を説かれたりもしていますし、。

 

 ・動物を食さないことを勧めてたりっていうのもあります。 これって言うのは~、

  動物には感情があるので、死ぬことを悟ると、ネガティブな感情になり、

  その感情のエネルギーはその肉体に伝播するので その様なエネルギーを取り入れない方が良いですよ

  波動値下がりますよ 的なことを説かれてたり、

 

 ・悪いエネルギーの人の近くにいると、嫌な気持ちになったり、その場を離れたくなったりするもの

 

 

 などなど、

 他にもたくさん為になる教えがありますが、 別に話したいことがあるので、

 

 ここからは 心について 話して行きたいと思います。

 

 

 

  心には 「 心のエネルギーの力強さ 」

      「 心のエネルギーの大きさ 」

 

  なるものがあるとし、

 

  また、心には どの様なものが発生源であるかも見抜き、

  それらを理解する事にも努めます。

 

 

  善心所 25種  善心所は 浄心所とも言われ、善い心の波動を起こすもの

  不善心所 14種 不善心所は 善くない心の波動を起こすもの

 

  共一切心所(くいっさいしんじょ) 13種 共一切心所とは 善でも悪でもない心

  があるとして、

 

  これらの組み合わせにより、様々な波動を構成するのが、心 人間である ということを仰っています。

 

  さらに、悪いエネルギーより、清らかなエネルギーの方が強いものである、心は変化する ということを仰っています。

 

 

 ここでちょっと心所について紹介したかったのですが、

  今まで話して来ていたミャンマー系のテーラワーダ仏教の心所が手元にないので、

 

  ネットからスリランカの南伝系仏教に残っていたものを持ってきたので、

  こちらをご覧いただけたらと思います。

 

 

   南伝の上座部仏教(スリランカ仏教大寺派)では、

『アビダンマッタ・サンガハ』に則り、心所を以下の全52種とする

 

 

心所(しんじょ、 チェータシカ)(52

同他心所(どうたしんじょ、アンニャサマーナ・チェータシカ)(13

共一切心心所(くいっさいしんしんじょ、サッバチッタサーダーラナ・チェータシカ)(7

 

触(そく、パッサ)

受(じゅ、ヴェーダナー)

想(そう、サンニャー)

思(し、 チェータナー)意思

一境性(いっきょうしょう、エーカッガター)集中力

命根(みょうこん、ジーヴィティンドリヤ)

作意(さい、マナシカーラ)注意力

雑心所(ぞうしんじょ、パキンナカ・チェータシカ)(6

尋(じん、ヴィタッカ)

伺(し、ヴィチャーラ)

勝解(しょうげ、アディモッカ)

精進(しょうじん、ヴィリヤ)努力

喜(き、 ピーティ)喜び

意欲(いよく、チャンダ)

 

 

不善心所(ふぜんしんじょ、アクサラ・チェータシカ)(14

 

【痴系】

痴(ち、モーハ)無知

無慚(むざん、アヒリカ)罪を恥じないこと

無愧(むき、アノッタッパ)罪を恐れないこと

掉挙(じょうこ、ウッダッチャ)

 

【欲系】

貪(とん、ローバ)むさぼり

見(けん、ディッティ)邪見

(まん、マーナ)

 

【怒系】

瞋(しん、ドーサ)怒り

(しつ、イッサー)ねたみ、嫉妬

慳(けん、マッチャリヤ)物惜しみ

悪作(おさ/あくさ、クックッチャ)後悔

 

【その他】

昏沈(こんじん / こんぢん、ティーナ)落ち込み

睡眠(すいめん、ミッダ)眠気

疑(ぎ、ヴィチキッチャー)疑い

浄心所(じょうしんじょ、ソーバナ・チェータシカ)(25

 

 

【共浄心所】

信(しん、サッダー)仏法僧など、善なる対象に対して心を澄ませること

念(ねん、サティ)気づき、自覚

慚(ざん、ヒリ)罪を恥じること

愧(き、オッタッパ)罪を恐れること

無貪(むとん、アローバ)

無瞋(むしん、アドーサ)慈しみ

中捨(ちゅうしゃ、タトラマッジャッタター)心の平静さ

身軽安(しんきょうあん、 カーヤッパッサッディ)

心軽安(しんきょうあん、チッタッパッサッディ)

身軽快性(しんきょうかいしょう、 カーヤラフター)体の身軽さ

心軽快性(しんきょうかいしょう、チッタラフター)心の身軽さ

身柔軟性(しんにゅうなんしょう、  カーヤムドゥター)体の柔軟さ

心柔軟性(しんにゅうなんしょう、 チッタムドゥター)心の柔軟さ

身適合性(しんちゃくごうしょう、 カーヤカンマンニャター)

心適合性(しんちゃくごうしょう、チッタカンマンニャター)

身練達性(しんれんだつしょう、カーヤパーグンニャター)

心練達性(しんれんだつしょう、チッタパーグンニャター)

身端直性(しんたんじきしょう、カーユジュカター)

心端直性(しんたんじきしょう、チットゥジュカター)

 

 

【離心所】

正語(しょうご、サンマーヴァーチャー)嘘をつくことなど悪しき言葉の行為から離れること

正業(しょうごう、サンマーカンマンタ)

正命(しょうみょう、サンマーアージーヴァ)

 

 

【無量心所】

悲(ひ、カルナー)他人の苦しみを取り除いてあげたいという心

喜(き、ムディター)他人の幸福を喜ぶ心

 

 

【智慧の心所】

慧根(えこん、paññindriya, パンニンドゥリヤ)真理に対する智慧

 

 

    

とまあ たくさんあるのですが、

 

 簡単に代表的なものを紹介しておきますと、

 

 

 不善心所の

 

  貧 lobhaというものは

 

  なんでも自分のものにするエネルギーで、自分のいいなりにしたりする エゴの波動となります。

 

  相手は逃れようとしたり、嫌氣がさします。自分の利益しか考えなかったり、ケチだったりします。

  本人は氣付くこともなく、反省もないので、 孤独になったりします。

 

 

  瞋 dosa

 

  怒りのエネルギーで、相手にぶつかって相手を壊すエネルギーになります。

  自分を通すエゴでもあります。

 

  相手が自分より強いエネルギーだと止まります。

 

 

   これらの様に、僕なんかは僕の中にたくさんあるじゃないか!?と、ハッとさせられたので、

  とても勉強になりましたね。。

 

  こういった僕みたいな無明という状態、物事の状態をよく見ることができない、悟りと正反対のもの

  である事に、知る ことからでも、氣づきが得られるので、

  知る事をする、勉強をするってことも役に立つかな~ と思います。

 

  不善心所の14種のエネルギーは氣づきによって消えていくということで、

  全部けしたら完全なる悟りとなり、それを目的としてます。

  

 

 

  対して善心所は metta 慈 

 

  共存のエネルギーとなり、他人の精神的エネルギーに同調し、一緒になろうとする働きを持ちます。

 

  どこまでも自分の心を広げられるものでもあります。

 

  嫌がられないもので、歓迎されるものとなります。

 

 こういったものを心所に持ちたいもんですよね。

 

 

 

 ここで、豆知識的なものを一つ、

 

 祈りというものがありますが、

 

  個人の欲望成就のためのものは、エゴ になるので、心のエネルギーは下がり、

  叶わぬ方向に向かいやすい ということです。

 

  それが他の人のことを含めたものならOKということですね。

 

 

 では、 

 これら心所の状態に氣付く為に

 

  パンニャ(智慧) というエネルギーがあります。

 

 

  これを広めたら 豁然と見えてくる、

  素早く理解し、把握できる ので

 

  パンニャを成長させることも目的として、瞑想するのが良いんですね。

 

 

  で

  ヴィパッサナー瞑想は別名サティ瞑想法とも言われていて

  主に 氣付くこと に焦点を当てているものになり、

 

     完成形は 全ての事に氣付く様に成長する という事になります。

 

 

 とまあ、大体 これまで話した感じの内容がメインになりますが、

  瞑想をサポートする教えとして、また人生において最高に効果のある教えとして、

 

  

  四聖諦と八聖道についてもちょっとだけ触れておきますね。

 

   四聖諦とは因果の道理になり、

 

  「苦諦(くたい)」………四苦八苦などの言葉に代表される様に「人生は苦である」という真理 

 

  「集諦(じゅうたい)」欲、怒り、恨み妬み等に代表される108の煩悩を説いており  苦しみの原因を明かされた真理

 

  「滅諦(めったい)」……無常の世を超えて、執着を捨て、 煩悩が滅した世界 涅槃に到達することを 真の幸福として説いている真理 

 

  「道諦(どうたい)」……悟りに導くのは八聖道による実践するという真理 真の幸福になる道を明かされた真理

  

   この四つを四聖諦としています。

 

 

 

  で、

   八聖道とは

    正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定であるとしていて、

   しょうけん、しょうしゆい、しょうご、しょうごう、しょうみょう、しょうしょうじん、しょうねん、しょうじょう、

 

 

  簡単に説明すると、

 

  正見とは 仏教実践によって、仏の知恵や真理を正しく知ること になります。

       

  正思とは 正しく考え判断することである。 ということですね。

 

  正語とは 妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。

 

  正業とは 殺生を離れ、盗みを離れ、性的行為(特に社会道徳に反する性的関係)を離れることをいう。

       正思惟されたものの実践である。

       

  正命とは 殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。

 

  正精進とは  四正勤(ししょうごん)を実践すること、四正勤とは

        「すでに起こった不善を断ずる」

        「未来に起こる不善を生こらないようにする」

        「過去に生じた善の増長」

        「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである

 

  正念とは  四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、

       常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。

 

  正定とは  正しい集中力(サマーディ)を完成することである。

        この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである。

 

 

  と言った感じになります。

 

 

 

  どの項目一つとっても深いし、実践の難しさを感じます。

 

  涅槃遠し! って感じですねw。

 

  これでは、僕みたいな愚民には浸透しませんよね~って感じです。

 

 

 あと、最後に

  仏陀の解く 愛の真理の道についてお話ししたいと思います。

 

 

  基本概念としては、自分が元気で幸せに暮らしたいのであれば、

  自分を取り巻く全てのもの、動植物や自然が全て幸福でなければならない。

  

  というもので、

 

  愛の構成要素を 「慈悲喜捨」とし、

 

 

 それぞれ、

 

  慈は shareに近い感じ の心

 

  悲は 悲しい人を助けたい、苦しんでいる人を助けたい と言った哀れみ・憐憫 の心

 

  喜は 共に喜ぶ、分かち合う 心

 

  捨は いつも冷静で平等な心

 

 

 を見て、

  これらの心のうち、自分にあるものを選び、それぞれの得意分野を伸ばす様に慈悲の瞑想に取り組んで、

  心の中にさらに植えつけていって、成長を目指す ということになりますね。

 

  知っておきたいのは 全ての生命は同じもの 自と他は同じものであるとし、

 

  何をしていくかというと、

  全ての身体的な動きと、心の働きをラベリングする ということをする瞑想をする事になります。

 

 

   

  これで、だいたい大まかにですが、話し終えたかな~と思います。

  長かったでしょうけど、一つ一つ理解していくと、

 

  奥深さや新しく知る言葉の意味の持つ力に驚かされますし、

  実践して、何か一つでも、心にある不必要なものが外れた時なんかは

  感動したのか、愛に包まれたのか、何故かスイッチがオンになって、涙が溢れ出したこともあります。

 

  なので、実践するチャンスがあるなら是非やってみて欲しいな~ と思います。

 

  朝から晩まで瞑想瞑想10日間の旅です。w

 

 

 

  ということで、

 

  今回のお話は本当の仏教についてだったのですが、

  この教えは違う言い方をすれば、個人の意識を高くするための方法とその教え

  といった見方ができると思います。

 

 

  なので、興味ある方は是非、瞑想センターに足を運んでみて、

  そこで、方法を学び、さらに氣付きを得ては 意識を進化させていって欲しいなあ 

  と思います。

 

  それでは 本当の仏教 についてのお話は以上になります。

 

  最後までご視聴いただきありがとうございます。

  

 

 

 

 

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