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それでは

天皇と大麻

その関係と歴史 PART 2

前回の続きになります

 

 

神道は現在では流派がたくさんあり

古代に比べて細分化と言うか分派をたくさん持ってしまっていますが、

 

今回は忌部氏の歴史を追う事で

神道と忌部氏と天皇家 そして大麻の関連性を追いたいと思います

 

 

前回の

 

478年に 倭王武(雄略天皇)が

中国の宋王朝の皇帝に送った 上表文によると

私の先祖は「東は毛人(蝦夷)を征すること五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。

渡りて海北を平らげること九十五国」

 

とあり

 

5世紀の後期には土着のアイヌ人とか純日本人を征服して

大和朝廷の基盤はしっかり出来上がっていっていて

 

 

神武天皇の日本開国から

いつ どの辺りで 

大麻を神の象徴とする 神道が確立されていったのか

が解らないので 色々と調べてみると

 

 

神仏習合が奈良時代のことなので

それまでに神道は基礎を成していたとは推測に足るところになりますよね

 

まあ神道と仏教の教えは

親和性が高いと自分は思っているので習合しやすかったのではと思います 

 

 

そこでも

やはり民間レベルでは大陸と行き来するものもそれなりにあったと思いますので

早くから来たのでは!?とも伺えますし、

 

おおやけという意味で

仏教公伝は当時、

 

 

大和朝廷に王子を人質として送っていた

百済という韓国南西部の国から

伝わったとされていて

538年と552年説と二つの説がありますが

面倒なので6世紀中頃という事にしましょう

 

 

 

で、その伝来した際は

なんて良い教えなんだ~!ってなったと思いますし、

それを利用して権力を握ろうとするものも現れたと思います。

 

 

その旧勢力と新勢力の対立が乙巳の変おっ氏の変(いっし おっし)のあたりから

大化の改新のあたりであったと見れますね

 

 

 

仏教は今回は良いとして

神道はそれまでにある程度確立されていたということが言えると思いますので

500年代半ばまでには基礎があった という事になると思います

 

 

 

で、

その神道

 

朝廷において

 

 

古来祭祀を任され 務めたとされる一族のことをまず考えてみたいと思います

 

 

中臣氏 と 忌部氏 の二つがまず 祭祀を任されたとされているのですが、

 

中臣氏は古来より任されたにしては

あまり主だった働きが確認されないと言うか、

 

鎌足に乗っ取られて以降、 

あの自分は鎌足は中大兄皇子・天智天皇に取り入って

中臣性を背乗り後に、藤原に改名した

朝鮮系かは解りませんが まあ 渡来人の可能性を見ています

 

 

今現在に至るまで政権に纏わりついていると思ってますね

 

 

で、

その後の藤原政権下において

古文が消されたのか!?

 

 

中臣氏の歴史があまりないのですね

アメノコヤネに祖を発して

天岩戸の際にちょっと活躍が見られて以降

古来祭祀を務めた一族 みたいなことしかあまり見つからなくて

単にそうだった 

に止まるんですね

 

 

 

忌部氏に比べて何をした

どこそこ開拓に貢献とか、神社建設とか、文化を広めたとか

そういったものが薄いのが氣になりますが

 

 

あまりに薄いのでやはり 後の権力者、

分派して本家以上に政治や軍事、政権に関わった藤原家に不都合があったのでは!?

そう思います

 

 

この藤原家は

いっときは奥州藤原氏なんて言って

ほとんど勝手にいつの間にか東北で独立してましたよね。

 

 

この一族は現在でも日本に巣食う 足引っ張り一族であると自分は見ていますね

おそらく朝鮮から来たのでしょう

 

 

戦時中の日本による朝鮮併合の際に

困窮する本国日本とは裏腹に

 

 

めちゃくちゃ税金かけて朝鮮にインフラとか教育施設とか作って

 

そして今でも

慰安婦とか徴用工とか 全くの大嘘を 

おそらく背乗り朝鮮人が日本人の姓を名乗り 国内からでっちあげては

韓国に反応させて

反応して何か言われたら

 

なんどもその度に

血税を何十億も簡単にプレゼント

とかさせ続けてますからね

 

 

戦前戦後の韓国の写真見れば一目瞭然

未開の地から近代へと 押し上げているのに、、、、

 

 

 

お笑いの

河本とか藤原の藤本とか ラッスンゴレライとか原子爆弾投下の嘲笑ってる感じだし

どっちにしろチョッパリピースとか 日本に住みながらにして 堂々やるところが

本当に氣持ちの悪い行いだと思います

 

 

この辺のことはやっぱり

日本人としては頭にきますし、

 

 

とまあいつも通り

 

今回の話からは

ちょっと話がズレるので

 

 

なので

忌部氏について掘り下げていこうかと思います

 

 

忌部の名の由来は けがれを忌む と言う意味で

忌部氏となったようで、

 

 

 

主に

古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族である

とされています

 

 

始祖はアメノフトダマノミコトになり、

彼は

天岩戸伝説でアマテラスが隠れた際には

洞窟の前で占いを行い、続いて枝葉の茂った榊(さかき)に、

 

 

大きな鏡、大きな勾玉を連ねた玉飾り、楮(こうぞ)で織った白木綿と麻で織った青木綿を下げた太玉串

を作りました。

 

 

ということなので

これが高天原ではなく葦原中国である 

こちらの世界で本当にあったことなら

 

 

この時にはすでに

麻はすでに生産され紡がれ 織物となっていた と言う事になります

 

 

なんやかんやあってアマテラスが外に出た後、

 

岩を閉めた後に

岩にしめ縄をするのですが、

しめ縄も古来大麻でできていたのかは謎ですが、

おそらくそうだとも取れます。

 

 

この辺の年代っていうのは

神武天皇の5代前のアマテラスがいた頃になるとすると

即位したのが紀元前660年とされているので

それ以前から大麻は日本にあった

そう言う事になると思います

 

 

 

で、実際に残っているものとしては

天富命(アメノトミノミコト)は この人はアメノフトダマノミコトの孫になりますが

 

 

神武天皇が開国宣言した際には

橿原を建造していますし

 

 

その奈良県橿原市忌部町を本拠地にしたとはしていますが、

あまり目立った痕跡が見られず

 

 

 

むしろ

その後

 

阿波国 現徳島県において

麻をメインに開拓をしたような歴史的な足跡がたくさん見られます

 

 

また

その後の動きとしても

阿波忌部氏から 分かれた忌部氏が

日本各地に穀や麻を伝えていったとされています

 

 

現在でも残る安房という地名のあるところや

房総半島の総の字があるところは

 

大麻と忌部氏に

ゆかりのあるところとされ

香川・千葉・栃木・島根等に移ったのでは と見られています

 

 

御際神が

アメノフトダマノミコトやアメノトミノミコト

である神社は

 

大麻にゆかりがあったと見て良さそうですね

 

 

で、

その本拠地は橿原とされていますが、

奈良周辺も色々とあるのでしょうが、

 

 

自分実は 讃岐男と阿波女の子供であるのと同時に、

 

 

やはり

四国は阿波の国に何か隠し事を感じるというか

 

 

その

忌部氏だったり 

大麻比古神社や矢倉姫神社や剣山からのユダヤ 天皇家の流れが

どうも何かがあるのでは!?となっていましてちょっと

思ってることを言ってみますと

 

 

まず、何かで読んだのですが、

阿波、讃岐、伊予、土佐と

頭をとって麻糸になりますし

 

最初の大麻比古神社はもちろん

読んで字の如く大麻にゆかりがある訳で

神社の位も 

正一位なんですね

 

 

 

ここの始まりは

 

天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、

麻・(こうぞ)の種を播殖してこの地を開拓、

 

麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより

祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが始まりだと言う

事で

日本建国の礎となるのに こう言った産業を発展させ

大きく貢献したことが伺えると思います

 

 

で、その

阿波国の正一位の神社で氣になるものが

 

もう一つ

矢倉姫神社というものがあり

 

 

その神社

そのちょっと失礼な言い方になるんですが、

 

 

他の正一位の神社っていうのは

本当に大きくて 由緒や御際神なんかがハッキリとされていて

みなさん一度は耳にしたことがあるくらい有名だったりするんですけど

 

 

ここってそのほかに比べてみすぼらしいというか

創建年代不詳だし、wikiでは 何の山だか杉小山というのが御神体になっている

って事なのですが、

 

 

大麻比古神社とともに正一位な訳でしかも

大麻比古が1719年位正一位になったのに対し

こちらは1185年に正一位となっているんですね

 

 

大麻は神の象徴であるとする 神道の力が強いだろう日本において

 

その

麻文化貢献以上に

何かが認められて

実に500年以上先に

正一位という最高位に達しているんですね

 

 

信長の野望のゲームみたいに

公家とか朝廷とか名乗るものたちに

献金する事で官位が買えるのなら

この神社は平安時代末期までに 献金をしまくったとか

ってね

 

 

ちょっと考えられないので、

これはもう

天皇家にゆかりのある

 

しかも絶対的に

始祖の匂いがするというか 物凄く高位の誰か と関わりがあるのでは と思います

ということは

 

 

この杉尾山が御神体だとしたら

誰かの墓が眠っている

 

 

その大分 前の時代だったでしょうから

古墳でもあるのかな!?

 

そう言った事になると思うんですよね

 

というか調べたら

この山 矢野の神山 という事で

たくさんの歌人が詠んだ 有名な山に当たるんですね

 

しかも

天照大神の葬儀の執行場面が社伝に残っていたという事ですが

でも残念ながら無いそうで

 

 

で、この山は

気延山という山の南嶺に当たるそうで

 

その昔は

この気延山に 矢倉姫神社があったそうです

そしてその頂上付近は

前方後円墳と円墳の跡があるそうです

 

しかも

今は改名されて残っている 大泉神社 というものが

元は 天の真名井の水であったということもあり

やはり皇族に関係がとても深いと見れますね

 

 

 

そして

調べると出てきたのが

おおひるめのみこと 別名で アマテラス大神 なのですが、

このかたとアマテラスを同一視しているのですが、

 

 

なんか無理があるというか

でもそうなのだとしたら 正一位である事の納得が行く という事になります、

 

 

そもそも

天孫降臨したのはニニギノミコトであって

 

アマテラスは高天原にいて

ニニギノミコトに 葦原中国を収めなさい と

言って自分は高天原を収めているのだから

 

高天原が日本というか人間界なのかどうか!?

 

 

天より高い原 天の高原とは書かずに 高い天より と書いてあるのだから

宇宙の事なんじゃ無いの~ とか思っちゃうんですよね

 

素直に古事記なんかの文献読む限りでは

アマテラスならないと思うんですよね

 

まあそこで、こちらの世界と似たような描写で

機織り機があったり、岩戸が出てきたり

ニニギノミコトと降り立ったとされる神様たちも登場したりして

何か色々と辻褄合わなくて ごちゃごちゃ感があるので

 

なので繋げるとしたら

 

アマテラスとかスサノオとか

襲名性なのではとか思ってしまいます。

 

 

 

もしくは前回同様、

長寿だったとか、、

日本各地に

天岩戸神社だって称する所が点在してますので

結局、高天原は葦原中国だったんかい! ってなってしまいます

 

 

まあ、そんなことはもう

色々と書き換えられたものしか残ってないでしょうし

真実なんか知る由もありませんが、

 

先に進んで

まあ、その後の

麻と こうぞの分布図なんか見てみますと、

こうぞとは!?という方もいると思うので、

 

はクワ科の落葉低木で、成木は3メートルあまりになり、

栽培が容易で毎年収穫できます。

繊維は太くて長く強靱なので、障子紙、表具洋紙、美術紙、奉書紙など、

幅広い用途に原料として最も多く使用されています。

 

徳島は山奥超えて高知県境まであるということなので

ここまで

ここで神山町 神の山の町が出てきますね

 

 

思うんですけど

ここいら一帯が 

神の子孫達 天皇家 が居たから

神山という地名でまだ残っているんだと思うんですね

 

ここら辺の記述が少ないのは

蘇我蝦夷が自殺した際

古書があった書庫が萌えてしまったとされているんですが、

 

 

これもいくら豪族とはいえ

天皇記や国記 が何故 蘇我氏の自宅にあったのか謎ですし

 

その際

 

国記 も ふねのえさか が持ち出し

中大兄皇子に渡したけど その後紛失したとか

この辺はやはり何かがおかしいですよね

のちに天皇になる ような人の家に保管した筈なのに

無くなりますかね~!?

 

 

無くしたかったんじゃ無いかな~!? と思ってしまいます

 

 

これ多分ですけど

日本乗っ取りグループにとって都合の悪い事だったから燃やしてしまったのでは!?

と思ってしまいます

 

 

しかも蝦夷っていう名前もどうなの!?

征服しまくっていて 敵対して 忌み嫌っていたら

絶対につけない名前なので

このことから

一国の最高権力者が

蝦夷をリスペクトしているのが伺えますね

 

 

なので国外向けには

 

蝦夷やアイヌ人を征服したとして

うちの国強いんだぞ~ 的なことを言ってはいたが

藤原政権下に移って 征夷大将軍とか作る前までは

 

多少の問題はありはしろ

やはりなんだかんだ 民間レベルでは

融合 勾配が 穏やかに進んでいたのではないかな~!?

 

 

と この名前一つでも

推察してしまいますね

 

 

ってまた話が

あっちコッチ行き過ぎて進まないので

 

 

という事で、

 

またちょっとなんだかんだ長くなってきたので

今回はこの辺にしたいと思いますね

 

Part 3 に乞うご期待! という事で

 

 

今回の動画を

終わりたいと思います

 

 

もし良かったら

動画のコメントとか評価とかチャンネル登録とか

よろしくおねがしいます

 

 

それでは

最後までご視聴いただき

ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

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