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神とは!?

 

なんぞや!?

その存在についてと

本当に信仰する対象にすべきなのか!?

と言うことでお話をしていきたいと思います

 

一般的な価値基準だと

 

 

・神とは

 宗教などでの信仰の対象であったり

 絶対的で超越的存在であったり

 

といった感じだと思います

 

 

これは人々が畏敬の念を抱いた対象を指して

全て神と称していた様に感じます

 

 

・自分の知る神とは

 

万物創世の大宇宙の最初の現意識の様なものを

1番の大きな神として、大神が存在しており

その存在は大歓喜であり

 

愛や感謝など、あらゆるポジティブを推進する存在だと

考えております

 

 

現在、この地球次元においても

間違った神に乗っ取られているので

 

この大神という存在はもう少ししたら

一切のネガティブが存在できない世界である

弥勒の世 創世に向け動き出すとされています

 

 

そして神については

その大神のもとに各次元毎にも神がいて、

その各次元毎の宇宙においても神がおり

 

その宇宙の中の小宇宙毎にも神がおり

そのまま星雲や銀河系、恒星を大きなものとして

それに列する惑星毎にも神がおり、

 

 

例えば地球も神になり

その次に空間、大陸、海

 

またそれらを分けたエリア毎にも神がおり、

そしてまたさらに小さなエリアに分かれても神がいる

と言う感じになっていると考えております

 

 

・また違う次元の存在も

 

こちらの世界の住人が理解を超えたものとして認識し

 

畏敬の念を抱いた瞬間から

神として捉えることもあると思います

 

これっていうのは

多次元に存在する意識体、純粋なエネルギー体のことであり

 

俗にいう天使や守護霊という名称で呼ばれているもの

そういう存在たちだと考えております

 

 

それとは別に、全ての植物や生物にも

神が自ら別れたもの と言う意味で

 

自らが創りだした世界を楽しむ生命として

自分としての神 つまり我々全てが存在していて、

 

あとは我々の崇拝する対象も神格化されていく

神になると言うことも起きていると考えています

 

それって言うのは、解り易いものでいうと、

キリストだったり、アラーだったり、アマテラスだったり

戦時中は天皇を神格化したようにだったり、

 

 

また

アジアなんかでも木に布を巻きつけて守り神の様に拝んだりして

岩やほら穴なんかも対象にしたりしていますので

その様に人々が畏敬の念を抱いて、想念を抱いて飛ばした先の対象も神となっています

 

想念を抱くとは量子レベルでその働きを固定化させますから

そこにその量子が宿る イコール 神が宿る

人々が持った想念の総量に対応して、それに応じた形で神が作られる、宿る

その様になっている と考えております

 

 

あとは

 

 

・言葉を発する

 

ということも

その想念を持つのと同等、またはそれ以上に

量子を固定化させる力があると思っております

 

言霊の事になりますが、

これは想念の量子を音という波動に乗せているので

より直接的にこの世界において対象を具現化させるものであると考えております

 

 

まさに

はじめに言葉ありきで

 

万物は言葉によってなった

言葉によらずにならなかったものはなかった

というロゴスの世界観そのまんまです

 

神は意識の力、量子確定100%の力をもって

その様に万物を創世していったと考えられます

 

なので、人間が実際に行う際も

そこに ある とか それは○○である

とした感じで、疑いを持たない様な強い「 信じる 」という力が

その働きに更なる力を持たせていると考えられます

 

なので「信じるものは救われる」といった態度

 

信じる力が100パーセントピュアな

その様な存在からの祈りや言霊は具現化するという事になっている

そういったシステムであると考えています

 

だいたいこの様な感じなのが

神と私たちが認識しているものの姿であると

自分は考えております

 

しかし、世界では

この様な

 

 

 

・真理、真実、悟りの方向へ

 

向かわず、

 

未だ一神教を推し進めている感じで

それが惡いとは言いませんが

 

自分がみんなで共有したいビジョンというのは

人類全体を愛の方向へ運ぶ様な存在を神とする

 

そう言った存在のみ神と確定しないと

いつまでもエゴの世界を維持する事につながり

私たちという共同で大きな意識的な存在は進化していかない

苦しみの中にある

という事になっていると考えます

 

 

戦争は人間の霊的成長にとって良いもの と

生長の家という宗教を信仰している稲田朋美が言っていたという事ですが

だったらそういう苦しみやエゴを利用する人間だけでやってくれ!という感じです

 

この人は武器製造会社の三菱の株を大量に持っているという事ですから

自分が儲かれば他はどうでも良い というエゴな存在である事が伺えます

 

どこに霊的成長をしたと思われる様な発言だと捉える要素があるのでしょうか!?

 

また戦争を容認する方向への憲法改正を敷く安倍晋三や

さらに人々からエネルギー簒奪を目論む麻生太郎とか竹中平蔵とか

 

生長の家や日本会議関連、古代からの豪族の圧倒的な国民への態度は

全体としての私たちを愛の方向へ向かわないものにしております

 

こう言った愚かな信仰・存在をこれ以上産まない様にするためにも

 

全体での意識が愛の方向へ向かう様に

神という存在を定義し直すべきだし

その根本的な善悪の概念を全体的に再認識すべき だとも考えます

 

 

こう言ったかんじで

 

・宗教的な分野

 

においては特にそうなのですが、

 

一つの神に意識が固定化されると

他の神様に対しては教えと違うものとして

他宗教を捉えてしまうので

 

結果、敵対を生んだりしています

 

 

これは仏陀の教え、本当の仏教の悟りにある事に記されている通りです

 

 

せっかくの信じるというポジティブな力を使った先の世界において

同時にそれは受け入れられない、信じられないという

勢力を自分たちで創り出してしまっている

 

という事に繋がっているのが現状と見受けられますので

非常に勿体無いことであり、

 

どこか真理の最終ゴールから逆算して

的外れなものになっていると思います

 

 

例えば

 

・ユダヤ教では

 

エロヒムという空から降りてきたもの達の

リーダーであったヤハウェという唯一神をもっており

 

そこから何故か選ばれたもの達であるという選民思想を持ってしまい

まあこれは恐らく何度も訪れたその時その時の民族離散の危機的状況に対して

 

民族団結といったまとまりを持つための危機管理から

より強固に他を排することを厭わなくなっていったとは見受けられますが、、、

 

その死生観からも転生概念がなく

惡というもの自体も死とともに消滅するとされていますので

 

ある種

惡を容認しており

 

タルムードの教えに則り

他を害する事に何の善ももたないところあるというのは

 

人類全体で一つの生命と見た時、

人類全体でポジティブな方向へ向かう

という事の足を止めさせる教えである

と見る事ができます

 

こういった感じの人類全体でポジティブな方向へ向かう

 

愛の方向へ向かうという事が

人類全体において一番最大の目標になるべき と自分は考えますが

 

これはキリスト教もイスラム教も足並みをそろえませんよね

他の宗教も何かどこか足りていない という事が多いです

 

 

例えば

 

・ヒンドゥー教だったら

 

神様が多くてそれぞれの個性からの学びも多く

人々の意識レベル向上にはそれなりに役立つのですが、

カーストという階級制が人々から平等という権利を奪っています

 

 

 

例えば

 

・イスラム教だったら

 

どうしても人間という存在はエネルギーを基盤に生活があるので

そのエネルギーを貧者に回す喜捨のあり方や

その社会的な性質とかも良い事だと思いますし

 

祈る事はとても良い行いで、

自己の幸福度や世界への良い想念の創出=量子固定となっていたり

また個人の意識成長に役立っていてとても有効だと思いますが、

 

唯一絶対神アラーをもっているので

他を認めないという性質になってしまいますので

対立を生みます

 

これはやはり人類全体であるべき姿を考えたとき

そのあり方を愛の方向へ向かわせない

という事になっています

 

 

・他に

あからさまに悪魔崇拝の宗教である

ドルイド教やイエズス会などは

 

その背景を全世界に周知させ改めるべきとも考えますし、

 

こう言った人々により築かれた

現世界を生きる人々の

 

無関心である姿は

惡やエゴ、ネガティブな波動を

この世界に蔓延させる1番の要因になっているとも考えます

 

 

 

・古代日本では

 

八百万の神々を信仰の対象とし、アニミズム的思想のもとに、

自然のいたるところや万物これ全て神としていたところもあったり、

 

またホツマツタエによると

 

功績を大きく残した様な、

徳の高い人も祀られて人が神の様にランクアップしたりしていて

 

人々が平等で柔和に物事を進ませる感じの思想である様に

神のあり方があったと考えられます

 

そして他の価値観や宗教みたいなものにも

大きな包容力を持ち得たものであった と考えますが、

しかし

 

 

天皇がこの自然崇拝平等教とも言うべき

古代神道のトップに立ったある時期から方向がズレ始めたのでは!?と考えます

 

天皇制はどう見ても絶対階級制になっていますし

それに付属するものもよくありません

 

周りにはどうしても嫡流以外の家が豪族化、貴族化して

権力構造を持ち、そのトップに軒を連ね始めますから

 

これはやはり日本に住む人たち全体を一つの家族とする見地から見ても

 

天皇の存在は全体としての私たちを

愛の方向へ向かわせない勢力として存在してしまいます

 

 

だいたいこんな感じで

 

神とはなにか!?ということと、

神は私たち自身であり、信仰の対象もそうである といった感じで

あと他のちょっと関係のあるお話もさせて頂きましたが、

 

 

・自分が一番 神という存在にあって欲しいものというのは

 

もっと大きな視点で物事を見たときに

エゴを内包している思想や神を

信仰の対象として選ばない様にしないと

 

人類全体での意識の進化や

人類全体で愛の方向へ進む ということは

まず 成立しない

あくまで個人の一部の意識進化に止まるという事で

 

 

この観点から見て

神のあるべき姿、宗教のあるべき姿・思想というものは

 

全体で愛へ向かうものであるかどうかを基準にすべきであり

またちょっとプラスして

 

地球=私たちという

この同時に絶対必要とされる観点からも

 

自然との共存・共栄がある様に

そう言った神というものの存在を理解しなくては

永遠に人類は

対立、争い、戦争、奪い合い、自分が良ければ良い、といった

エゴの中にあり続けますよ ネガティブの中にあり続けますよ

と言う事になると思います

 

 

我々の真の姿である意識が

本当に進化する方向へ向かう様に

こう言った事が基本になるべきでは と思います

 

と言った感じで

 

神という存在とは何か!?

 

どうあるべきか!?

を考えてみました

 

それでは今回の動画は以上で終わりたいと思います

 

 

 

 

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