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今回から自分もいつかやりたいと思っていた

ホツマツタエについて考察!という事で

 

前回までに古事記から日本史を紐解くシリーズやってしまったのですが

CGSやネット上の詳しく調べてくださっている方の内容を読ませて頂くと、

 

古事記よりホツマの方が詳しいし面白い事がわかり

これを勉強しない事には古代日本史は理解できないな~となりました

 

この

 

ホツマツタエ

 

またこれも竹内文書同様偽書扱いというか

正式に認められないとされておりますが

 

ではなぜ!?

 

古事記でのフワッとしたところとか

全く繋がらないところが

こんなにも明確に記されているのだ!?

と思いまして、

 

むしろ古事記の方が偽書である

と今では考えております

 

 

その理由としては

 

大化の改新の時くらいに

それまでの古文書の類があったとされる書物庫が燃やされてしまっているのですが

 

これはやはり意図的なものであり

クーデターであると言った事を感じます。

 

なぜかというと、

その後に編纂された

古事記、日本書紀については

 

当時の学者のトップである

ひえだのあれ の暗記している事を おおのやすまろ に書かせたにしては

 

その古事記に記されている事のあやふやさ

辻褄の合わなさ加減が半端ないという事で、

 

ひえだのあれのミスなら

本当に高い記憶力をもって誦習(しょうしゅう)していたのか!?疑問を持ってしまいます

誦習とは書物を暗記した内容を口に出して諳んじてみせる事です

 

もし ひえだのあれ がちゃんとそれまでの

帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)

を暗記していたと仮定すると

 

これを書き記したとされる

おおのやすまろ この人に問題がある事になります

 

この人は從四位という官位をもらっておりますし

後の世にできた政権にとって功績を成したからこそととれます

 

これはクーデターした側に与したからだともとれますし

 

この古事記以前の文献と以降の文献では

何より大きく変わったことというのが

それまでにあった文献に見られる神代文字が使われなくなり

 

書き記し方がこの時代以降全て

漢字主体になっている という事で

 

大陸から渡ってきた勢力に乗っ取られた

という事は容易に推測がつきますから

古事記に見られるアヤフヤさや適当加減が理解できます

 

大陸人お得意の歴史捏造だったんですね

 

 

で、また

その

 

三内丸山遺跡の発見で

 

日本には今から約5900年前~4200年前には

すでに定住して文化を持って生活をしていたことが証明されていますが

 

歴史学会と名乗る人たちはどうしても

大陸から日本に文化が来たことにしたいという意向を持っているかのように

 

認めない、受け入れない、教科書を書き換えない

 

ということがあります

 

 

三内では、住居跡や物見やぐら跡、50mくらいの家の跡、石器、土偶、装身具、編み物、袋状編み物

さらに、DNA検査により栗やひょうたん、ごぼう、豆などを栽培し、栗を主食としていた事実

 

この様な大規模な集団生活の跡があることが判っているにも関わらず

多くの科学的根拠でもって

縄文時代のイメージが覆されているにも関わらず

 

 

学会は受け入れず、

この様な生活を営むのは

大陸から人が渡ってきた弥生時代以降という事にしたがります

 

他にも遺跡はたくさんありまして

 

日本最古、紀元前930年頃の水稲耕作をした跡される佐賀の菜畑遺跡の存在もあり

これも科学的に証明されています

 

この様に豊かな生活を送っていた古代の人たちを

獣を追って生活をしていたと刷り込みたがり

 

大陸の人間の方が優れているから文化が流れてきたと言わんばかりの姿勢には

古事記の中身同様違和感を覚えます

 

まさに乞食に乗っ取られたと

日本は古代において既に権力中枢に大陸人がいて乗っ取られていたんですね、。

 

 

だから古事記や日本書記が正式に一番古い書物だとする訳ですが、

そもそもそれまでにあった書物を編纂しているということなので、

天皇紀、国記、ホツマ等、たくさんの文献があった事を前提としますよね

 

これら全てを焼き払ったつもりでいて

今後一切、神代文字の痕跡が見られない様に工作を図っていたのでしょうけど

 

日本には1000年以上の時を経ても、至る所に神代文字の跡がありますし

このホツマツタエの様に

それまでの文献を隠し持っていたお家が何軒もある可能性は否定できません

 

ホツマは小笠原家の方達、竹内文書は竹内家の方達が守ってきた様に

まだ、子孫がその存在すら知らないで

家のどこかに眠っている可能性もあるものもあるかもしれません

 

 

本当にまあ予備知識として古事記を勉強して良かったかな程度には思いますが、

古事記に費やした熱量を返して欲しいと思うくらい

ホツマを楽しみたいところになります

 

 

という事で

 

ホツマツタエその内容と考察

に入りたいと思います

 

ホツマツタエは、古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ叙事詩になり

縄文後期中葉から弥生、古墳前期まで約一千年の神々の歴史・文化を今に伝えています。

 

作者は、前半天の巻・地の巻をクシミカタマ(神武時代の右大臣)で

後半 人の巻をオオタタネコ(景行天皇時代)が、編纂、筆録と記されています。

 

 

ホツマの和歌は、

和歌姫が捨てられていたところを金析命(カナサキノミコト)に拾われ

育てられたことから始まります。

 

金析命の妻の乳を飲んで育ち、「アワワ」と声を出したり、手を打って良い顔をした。

 

子供が生まれると神にお供えをして家族や親族に加える儀式を行い、

三歳の冬には髪置きの儀(三歳まで赤ん坊は髪の毛を剃っているが、髪を伸ばすのを許される)をする。

 

元日(一月一日の朝)には餅を供えて、天地(アワ)の神を祭る。

 

桃の花の季節には雛の祭りをして、菖蒲(アヤメ)の季節には粽を備え、夏には棚機(タナハタ)の儀式を行い、

秋は栗や菊を供えて祝うのだ。

 

(子供が)五歳になると、男の子は袴を着て、女の子は被衣(キヌカヅキ)の儀式をして、

正しい言葉を学ぶように、アワ歌を常に教えるようになる。

 

この『アワの歌』は、葛垣琴(カダガキ。琴の原形のような楽器といわれる)を弾きながら合わせて歌うと、

自ずと言葉も身に付き、心や体に音や言葉で二十四の音が沁み入り

四十八音で身について体内を良く循環して病気にもならず長生きをする。

 

住江(スミヱ)の翁(金析命/カナサキ)はこの事についてよく知っていた。

 

 

こう言った感じで

文化、風習が古事記や日本書紀より古いのに詳細に記されており

日本における文化水準の高さが伺えます

 

 

しかも

最低でも紀元前200年よりも昔のことになり、

もし本当に神武時代が紀元前660年前後だとしたら

その時の右大臣クシミカタマがこれを記したのだから

その紀元前600年前よりも昔の文化を記したものになります

 

でまたこの歌に見る

アワと住江という言葉が

自分の従兄弟が徳島県の住吉というところに住んでいたので

どうしても古代日本と徳島との関連性も感じてしまいます

 

イザナギの国生み神話も島の始まり淡路島という

寅さんの啖呵にもなった有名な一節からも

何故かあのあたりは何か匂いを感じてしまいます

 

 

で、内容について軽く触れると、

まずは

 

この国は

 

紀元前5000年くらいに国常立が作ったという事ですね

その中で八人の王子が生まれて、八王子の地名になったとあり

日本全国また中国に行ったと記されているという事で、

歴史の真実は日本から大陸に渡ったという事ですね

 

米の栽培も日本の方が大陸より古いという事も最近では分ってきています

で、この国常立の子孫が天皇家にあたるとされています

 

また古事記では国生み神話のイザナギ・イザナミですが

どうやら古代天皇7代目とまでしっかり記されているという事で

 

本当に何故!?

古代天皇の系譜を誦習(しょうしゅう)できた ひえだのあれが居て

この辺のことを解っていただろうにも関わらず

 

初代天皇を神武にして

そこからの話にしかならないのか!?

この辺りは絶対的に何者かの都合、

 

後の権力者の都合を感じずに入られませんね

 

と言った感じで、今回はここまで

 

 

 

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