TOP PAGE ↩️

 

 

今回もちょっと徐福について

もう少しやってみたいと思いましたので

徐福していきたいと思います

 

で、これにプラスして始皇帝なんかの話も混ぜて

その辺のことを考察してみたいと思います

 

まあ、今回も前回同様というか

いつも通りというか適当なやつが適当に話しているので

そんな話もあるかもな!?程度に聞いてもらえたらと思います

 

 

『後漢書倭伝』では、徐福のことを

・「方士」

と称しています。

 

方士とは方術を行う人のことになり。

方術とは、医経・経方・房中・神仙の四科に分かれているということになります

 

 医経とは病理学もしくは基礎医学とも称すべきもの、経方は治療及び製薬に関するもの、

房中は性欲または優生学に関するものだが後に淫猥に流れた。

 

 最後の神仙とは生死を超脱して荘子のいわゆる「真人」となる事を目的とし、

導引(新鮮な空気を導いて体内に入れる道士の養生法)

 

・服薬及び錬金術等を抱含したが、

後には単に現実的な生命の永続即ち不死を目的とするに至り、

前の三者と離るべからざる関係が生じた。

 

 此の神仙科こそ後の道教に取り入れられて其の主流となったものである。

 神仙科は主に八神(天主・地主・陰主・陽主・月主・日主・四時)を祭神とし、

 

其の他 星辰・風伯・雨師をも祭ったが、

後には竈神(そうしん、=かまど神)・泰一(たいいつ、=大一・太乙・北極星の神名)

五帝及び従来の名山大川をも其の祀神(しじん、=祭る神)に加えた。

 

この方士と呼ばれる存在は三国志でも出てくる

左慈ゲンホウだったり、于吉千人、管路、華佗だったり、諸葛亮公明も雨乞いしてたし、

こういった感じだったのでしょうか!?

 

こういった存在が中国では道教へと姿を変えていき

日本では元の神道にも影響を与えそして更に陰陽師なんかへと姿を変えていった

とされています

 

中国では他の時代においても

有名な皇帝が方士の存在を信じて重く用いてきたという事もあった様です

 

方士は、医学、薬学、性欲に関する事

優生学(これについては生物の遺伝構造を改良する事で

人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動と現在では定義されている)

神仙学を理解して扱っていた とされるのですが、

 

ここに感じるものとして

1分野だけでも相当に奥が深いものばかりなのに

 

これら4つをまとめて学ぼうとする姿勢

知識に関して貪欲な姿勢がまさにタルムードな民族の匂いを匂わせます

 

どこいっても裏の行いが支配や虐げる事を目的としているので、

表では良いことをする、信頼を得る、実権を握る、虐げるの順ですね

ずっとこうやって存在しているのでしょうか、、

 

まあ、

流浪の民が医学薬学に通じていれば人を救い感謝され土地に馴染めますよね

 

神仙学という自分たちの理解を超えた事を教えてくれたら尊敬しますね

 

そして

最後に優生学にも似た考えを持っていたというのがまた

自分たち以外は奴隷と言った感じで、

その土地その土地の権力者の座に収まって他を虐げる姿勢

この姿勢まさにユダヤなイメージを持ってしまいます

 

前回までに

・徐福はユダヤの可能性がある

としたのですが、

徐福の先祖は夏王朝の初期に「徐」に封じられた王で、

子孫は代々長江(揚子江)、准河(わいが)、泗水(しすい)、済

水(せいすい)の流域一帯に栄えたと言う

つまり「徐福」は中国屈指の名門徐王の末裔になる

という事なので

 

姿形はシナの一民族だと思います

しかし、この方士であったという事から

その思想の持ち主であり

その思想の持ち主たちとは同士に当たりますよね

 

つまり中身はその思想家であり

ひょっとしたらその祖先がユダヤだった可能性もありますね

 

また

 

徐福はインドに7年留学していて、仏教も学んでいたとされています

本当でしょうか!?7年いた海外の地は日本ではないでしょうか!?

もしこのことが本当なら仏教伝来は紀元前200年には来ていたということにもなりますし、

 

徐福はまだできて2,300年とまだ良いものが受け継がれていた

真の仏教の教えを理解していて

涅槃の境地に辿りつくことを目的としていたのかもしれません

 

でそんな徐福は

相手が始皇帝ということで、2度目の船出は

失敗が許されないので、

もう帰ることは前提としてないだろうと思います

 

帰ってきて薬がなければ殺される

帰ってきて薬を献上しても、いつか殺される可能性は高い訳ですから

それは3000人の文化と宝物とか

できるだけ根こそぎを持っていきますよね

新しい土地で王の座につけるだろう最低のエネルギー量だと思います

 

で、

ここでやはり先ほどの疑問があるのですが、

 

良く薬草持って帰るのを一度失敗したものに

もう一度任せて、、さらに今度はたくさんのものを託してみたもんだな!?

ということですよね

 

もし本当に伝えられる様に

始皇帝が残忍な性格なら

1ミスで許されない事態で即処刑だと思いますよね

 

ここで考えられるのは

始皇帝はそれほど残忍ではなかった

始皇帝と徐福はどこかしら同族の要素があった!? のか

 

それとも方士という存在が、始皇帝の心の中に大きく存在していたから

その連携を使ってうまく事を運んだのか!?

 

でもその後に水銀に硫黄を混ぜたものを飲ませたりして殺しているのも

おそらく方士の仕事になるでしょうから、

 

利用してポイか、皇帝を名乗り始めて偉そうだったからポイしたのか

または滅んだことにして東に向かっていったか!?って感じでしょうか、。

 

 

・始皇帝のした行い

 

のちに司馬遷が記した様な暴政ではなく

善政を敷く為政者であったという事が真実であると見受けられることからも

やはり司馬遷は多民族だったから厳しく書いたのか!?

とかも思いますね

 

焚書坑儒という行いも

それまであった、書経、詩経、諸子百家など主な書物を焼き払い

 

またその様な命令を諸県、国々で行ったので

これまでの文化を統一しようとした後が見られます

 

これって大化の改新に似てますね。

 

それまでの書物が焼かれてしまう

また、GHQの占領政策の一環でも

それまで培った文化や、知的レベルを下げる様な行いが多々ありましたから

知識を最重要項目にするユダヤだからこその、この行いなのでは!?と思ってしまいます

 

ま、ちょっと後の権力者は誰だってしそうなので

無理やりユダヤとは結びつきませんが、、

ただ、利用されていたという感じはありますね

 

このユダヤは表には出てこず、

必ず裏で操ることを好んでいますよね

惡い方のタルムードの教え通りです

 

やはりこの方士というのが如何わしいですね

『史記』には、

盧生と侯生という2人の方士に関する記述が残っており

 

彼らは普段から始皇帝の信頼を得ていたが、

 

裏では始皇帝について、独断でことを成し、縁故者しか登用せず、

博士らを軽んじ、権力に固執しているなどと罵詈雑言を吐き、

そのあげく、始皇帝のために不老の仙薬など作りたくないので、こっそり逃亡した。

ということが残されている様です。

 

これは陰陽師や神道にも通じていたという事からも

日本の初期から脈々と続く豪族や身分の高いとされる人間はみな

惡い流れの人たち 人々をゴイム扱いする首脳部だと思ってしまいます

 

また父親説のある呂不韋に関しても

豪商であり お金の力でいくつもの国にまたがり

権力を持っていた とされますから

この辺も何かが強烈に匂います

 

本当は当時の大陸の国々には

それぞれユダヤネットワークなるものがあったのではないでしょうか!?

 

それを元に隣と隣を戦争させて

その間に米を高く売りつけたり

武器を作っておいて売りつけたり

 

なんとなくですが

やってそうですよね~!?

 

しかし結局

混乱や惡の世界の構築は、

タルムードの教えから始まり、

 

最終的には

他の国にも君臨した

仲間をも傷つけるという結果になる

しかも未来永劫その因果の中にある

 

と言った構図に見えてしまい、

全く愚かな教えに思えます

 

しかもいつだって一般大衆が犠牲になり

彼らは豪族以上の身分だから被害にあわないっていうね

もうやめてくれ!って感じですね

 

で戻って

始皇帝の秦が何故!?

中国を統一できたのか!?という事もありますよね

 

戦争=お金かかりますからね~

あんな勢力図で言って一番辺境に当たる国に

どんな国力があるというのでしょう!?

 

よくよく考えれば、三国志の馬騰や馬超を輩出した

涼州の地は人口もなく、土地も痩せていて

そのままなら富なんかとは無縁の地ですよね

 

しかし、その西は敦煌で

そこより更に西は今はイスラム圏ですが

その当時は月氏という民族ネームエリアであった事から

のちの弓月君の一族と繋がりがありそうです。

 

手を組んでいたなら、

交易で富を築いていた、という事はあるかもですね

 

確かにこのパイプがあれば

東西の珍しい物を売り歩いたり、物価の差を利用した商売なんかもあって

 

富には困らなくなりますね

豪商、呂不韋もいるし、

東西のシルクロードの中にあるなら

それなりに富は確保できますね

 

あとは

兵隊が強かったとかあるかもしれませんし

西洋風の戦い方を取り入れて圧倒的な軍事力を確保したかもですし、

 

ひょっとしたら

巨人がたくさん混じっていたりとかありそうですけど、、

この辺は解りませんね~

 

まあなんにしろコメも必要なら

武器代も必要ですから

お得意の戦争ビジネスで儲けて

そう言った資金でもって国を富ませたり

国の内部に深く取り入った という事がありそうですね

 

コメや武器が手に入らないとなると

戦争はできませんからね~。。

 

こう言った意味でエネルギー支配者としての地位は

ユダヤネットワークが既に支那に入っていたのでは?!と思います

 

秦に対して他の諸国が全て連合を組んだ時がありました

しかし、東の果ての斉という国は

一度連合に参加したが参加を取りやめたということがありました

 

この斉という国も徐福が出身としていた村

江蘇省連雲港市があったと思われるので

何かしらのネットワークを使って斉を不参加にさせた氣がします

 

ひょっとしたら

大まかな民族的対立の構図を計ってそこで商売していたのかな?!?

とか思います

 

で、ちょっと戻って

徐福が7年いたとされる地が日本だとすると

最初の渡航の際には本当は辿り着いていて

 

その際

日本各地に来たとされる伝承がたくさんあるくらいですから

下調べの様なものをしたのでは!?とか感じます

なんの?!っていうと次の移住先です

 

だとしたら2回目の際に技術職の人間含めたくさん連れてきた

というのも納得がいきます

 

こうやって色々な国を乗っ取って東に向かい

東の端っこで落ち着いたのかもしれませんね

 

なので現状の日本の状況な訳ですね

表面上は穏やかだけど

 

裏というか、政府とか皇族貴族は全員同じ親戚関係で

企業を操り、人々の生活は最低限にする

 

そう言った感じで統治して、

他の国にも根付いた同族なんかと縁組する

こんな感じで世界支配家族が出来上がっている

 

地球全体良くならない訳ですね

その証拠の様に東京大空襲の際も

ピンポイントで支配階層が居たと思われる所は焼けていないんですね

まさに惡魔の所業ですね

 

全くもって良くもこんなに酷い事ができるな~と思います

そういえば日韓併合中も本土の国民には重税を敷き

朝鮮には莫大に予算を掛けてダムから治水からやってましたからね

 

そして現在はお互いに真実を教育せず、対立感情を煽り、

未来の金儲けのタネ、争いの火種にしているという事ですね

 

 

話逸れたので戻って、

 

・徐福の船団

が来日以降

徐福の引き連れてきた一族が文化の中心にはなったとは思いますが、

 

それでも

この後の世で完全に権力を握るものになっていくには

数的に少なかったのかでは!?

とも考えます

 

日本も意外と広いですから、

3000人なら

そんなに政権握れるほどに影響力を持てるかな!?

と考えてしまいます

 

徐福の足跡からも

日本各地に来たとされる説がありますが、

佐賀県のはまあまあな数だったそうですので

本体はここらに落ち着いた可能性もありますし

 

また

山梨でも根付いていったとされるお家がある事からも

まあ、日本各地を点在していって落ち着いたのでは!?とも思います

 

ホツマではアマテラスが実力を伴っていないくらいの時代に

天橋立の方から反乱が起きたというのもあって

 

アマテラスがトヨウケカミに退治してもらっていたりするし

元伊勢とされる程におそらく当時1番くらいに

信仰させようとしたコノ神社がその社格を落とすのには

こういった理由があったかもしれませんね

 

丹後半島を中心に一大勢力を持ったが

クーデターは失敗に終わった

 

そして山梨に落ち着いた

 

 

また

ホツマやウエツフミの文字がなぜ漢字ではないのか!?

ということに関しての考察からも

まあその時その時の事情があるとは思いますが、

 

相対的にまだ漢字を理解する人が少なかったからその必要性がなかった とか

漢字文化圏にしてしまうと大陸の属国にされるのが嫌だったからとか

純粋にホツマやウエツフミなどは大陸文化圏の系統が残したものではなかったとか

大陸文化圏のものたちがそもそも全員漢字が読み書きできる訳でもなかったしとか

新しい国に来たがその辺は元あった文化と文字を尊重することにした

とかなんぼでも考えられますね

 

では

 

・なぜ古事記以降が漢字なのか!?

を考えると百済難民が大量に来てからというもの

漢字の方が都合が良くなったとか

 

やはり

百済から移民が押し寄せた時の方が

絶対数が多かったと思いますし、

 

百済から押し寄せたとされる人たちの方が徐福の時よりも人数が多く

しかもその人たちっていうのは漢字文化圏の人たちが多かったのでは!?とも考えられ、

 

やがては

大化の改新の時には人口の中に大陸系の人が多く混ざっていっていたのもあり

また漢字を使う人間たちにより中央政権が作られたからといった感じで

 

このあたりでより直接的に漢字文化圏の人たちに

乗っ取られていったという風にも考えられるかな~と思います

 

まあ自分適当なので

話半分といった感じで楽しんでいただけたらと思います

 

TOP PAGE ↩️