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では今回も

・隠された古代日本史 part 3

ということで始めていきたいと思います

 

 

前回の動画で紹介した通り

 

 

阿波という地名 は 大麻 というものを生かした産業推進で

文化伝播をした事実がある ということが言えると思うので

 

そういった始まりの地 始発という様な意味でも

もう終わって死んでしまった文化圏としての意味での

四国にもなっていて

 

四国というネーミングも適当なものだな!と感じますし

 

古墳時代とされる時代の 前の

古代において

阿波という国ほど

他の国 に文化を運んだ地は他にはなかった

 

 

その阿波こそが

古代日本の中心地であったのでは!?

と言えると思います

 

 

というのも

奈良県橿原市に

紀元前650年くらいに開国されたにしては

 

 

その後の 朝廷ができたとか

 

平城京、その前の藤原京 ができたとか

都が置かれて

政治が行われたとか

そういう記録が残っているのって

6世紀くらいからだし

 

まあ開国して1000年ほどの間

どこで何やってたの!?ってなります

 

 

古墳時代とかっていうのもありますが

熊襲に隼人に蝦夷に忙しかった筈なのに

一体どうしてそれだけの兵力から兵糧から用意できて

一体どうやってあれだけたくさんの古墳を作ったと考えることができるのでしょう!?

 

 

もしそれが現実的に可能だとしたなら

それはとても大きな権力を有し

色々な制度や国家体制がしっかりした

中央集権国家がなくてはならないと思いますので

 

古墳というものも

全てとは言いませんが

大半はもともとあった山を削ったものとか

さらに超古代の世界各地に見られるような

 

石の文明の残りを利用したものである

 

そう考える方がすんなり自然になるかと思います

 

その方がより日本人的な態度であると思います

 

 

で、

その橿原に開国されたとされるところから

何かしらの影響を他に与えた と言った

言い伝えや風習 文化伝播の後とか 地名 とかに

 

あまりに何も残ってなさすぎて笑

 

何を開国したんだろう!?笑笑

 

残ってるのは後付けの陵墓の古墳だけ!?笑笑笑になってしまいます

 

 

古墳群の存在も

紀元前6から2、3世紀の間に当たるものが確認が取れないというのも

納得がいきませんし

 

 

その辺の時代の天皇とされている人の陵墓を調べると

古代天皇の第12代の景行天皇は在期が71年~130年が記されているのに

その記されている時代とは裏腹に

景行天皇陵墓である 

山辺道上陵やまのべのみちのうえのみささぎ 

は4世紀のものとされていますし、

 

 

第11代 垂仁天皇陵も在期bc29~70年とされていますが、

垂仁天皇陵(すいにん)は4世紀後半とされています

 

第10代 崇神天皇はbc97~30とされていますが、

崇神天皇陵(すじん)も4世紀前半ごろと特定されていますし、

 

 

第9代 開化天皇は在期bc158~98年とされていますが、

開化天皇陵 春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎりょう)に至っては

円筒埴輪片が出土から 5世紀前半の築造と推定されていて

 

ここにきて年代が

遠くなきゃけないのに 近づいてしまい さらに偽造感を感じざるを得なくなります

 

形も イビツでこれを前方後円墳と呼ぶには無理がある という感じで後付け感が否めないんですね

 

そして

 

 

第8代 孝元天皇 在期bc214~158年とされていますが、

 孝元天皇陵は5世紀中頃から6世紀初頭にできたとされています

 

 

これに至ってはもう言うまでもありませんね~

ドユコト~!? って感じです

 

 

とまあね~、

放射性炭素測定法により

おそらくこの時代ならまだ 2000年も経っていないので

信頼のおける年代の割り出しが可能だと思われますので、

 

こう言った

 

天皇の在期とは矛盾した時代の

陵墓が特定されると

天皇がいたとされる時期や場所 それを記すもの こと が

どれだけ適当か、どれだけあやふやかが 明確になったと思います

 

 

そしてここからは

 

 

・伊勢神宮についての考察

 

まず、

アマテラスの みつえしろ である倭姫命(やまとのひめのみこと)が

神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされていて

内宮なかったんか~い! 的なことにもなりますし

 

 

このヤマトノヒメノミコトは時系列的に

11代天皇垂仁天皇の御代とされていまして

 

 

神武天皇の国家開闢(かいびゃく)から

実に早くて600年以上の時を経て

恐らく本当は千2、3百年以上経って初めて

今更 アマテラスを祀るかな~ というのもありますし、

 

 

アマテラスを戴いて大和国をお立ちになり

というの文があるので

 

アマテラスを連れて行った という事になってしまいますと

まだ生きてたんか~い!? っともなりますし、

 

結局 葦原中国に降りてきてたんか~い!ってなりますし

 

しかも 超長生きしすぎ だからやっぱり宇宙人だったんか~イ!ってなりますし、

ほんとは襲名性なんか~い! ともなりますし、

 

実は実は今さら 祀らせる必要に迫られたんか~い! ってなります

 

 

 

で、やまとのひめのみことの前の

 

10崇神天皇の御代において

豊鉏比売命(とよすきいりひめのみこと)は伊勢の大神の宮を祀ったと簡潔に『古事記』に記されている

 

 

ということから

元は違うものがあったところに

何かの後付けで乗っかった感 ていうのが やはり否めませんし

 

それまでの皇室の祖廟は前方後円墳等に見られる様に 手厚く埋葬された跡がありますが

 

伊勢地方には

5世紀中頃まで築かれていない 縁もゆかりもなかった ということもありますし、

 

この時初めて 門外不出で天皇家の家宝とされているのに

崇神天皇は とよすきいりひめのみことに 八咫の鏡を渡しているんですね

 

鎮座する場所を探していたんですね

 

しかもその後、お役目交代でやまとのひめのみことにバトンタッチまでしてますし

どんだけ家に置いておきたくなかったのかが伺えると思います

 

 

 

そして

 

前回述べたように

 

アイヌの八百万信仰の最高神の上に立つと見せるだけのものなのでは!?

という説が裏付けられるかの様に

皇室が参拝に出ることは無いんですね

 

 

実に

歴代たった一人 持統天皇 のみであり これは伊勢神宮の斎王制を廃止するためとか

可愛い孫に王位を譲るためとか 言われていますし、

皇室が参拝に行かない と

 

 このことが騒がれて始めて 最近 慌てた様に こぞって参拝はしてますね

で、

 

その理由がアマテラスの宿る八咫の鏡の呪いが怖いから っていう理由だということなので

 

鏡を納める伊勢神宮を国家第一の社とするところには

国民がそれを参拝するという場所であることからも 国民をあざ笑っているのか

 

それともそれだけ強い霊力で守られているから心配ない 最高の社である としてるのか

まあ何か不透明で氣持ちの悪いところになりますし

 

 

 

ここで氣づきたいのは

なぜ急にアマテラスが祟るのか!? が謎ですよね!?

それは別の一族が成りすましているから ではないでしょうか!?

 

まあ、隠したそうだし

こういうこと言うと

思考停止している人たちにメッポウやられそうですが、

 

 

誰のどんな主張に対してもですが、

ちょっとは物事調べたり、何かを考える と言うことをしてから

批判されたいと思います

 

自分はバカなりに考えたことを言わせてもらっているので悪しからずでございます

 

 

 

ということ

 

でね、

 

そして自分も

伊勢神宮行ったときあるんですけど

あそこって門前払いなんですよね

 

なんかとても失礼だな~とか思いました

そう感じる人、実際行ってがっかりされる方は多いのではないでしょうか!?

 

 

しかも

徳の高い人は中に入れるとかも聞きますけど

 

それはそれで

そりゃあまあ低くてすいません って感じになりますし、

どこが万人平等なんだろう 神道とか嘘じゃん! ってなりましたし、

そんなに見せたくない何かがあるのかな~って感じになりました

 

 

 

そして

 

伊勢神宮内の灯篭に刻まれている

六芒星(ダビデの星)が意味するところは!?一体なんなのだ!?

ということになりますし

 

 

マークでいうと

天皇の菊花紋にしろ

今やシュメールやイスラエルにある

 

 

太陽紋と一緒であるという事も

歴史好きには周知の事実だし

伊勢神宮にあるとされる

 

 

八咫の鏡には 何故かヘブライ語で

我はありてあるもの と書かれているということなので

やはりユダヤが出てきてしまいますし

 

この鏡は本当の天皇家の呪いが降りた代表的なものだったのではないでしょうか!?

 

という疑問が出てきちゃうということですよね

 

 

そしてその後の

平安時代になると

平安京をつくるのですが

 

 

これは

エルサレムと同じ意味ということなので

また何か強く匂いますよね~~  という事で、

 

 

まあ自分が示唆したいのは

 

古代において

天皇家とか政治とかと

関係があった土地は阿波の国ではないの!?

 

 

という事にしているのでw

 

 

何故か隠したい

隠したい何かがあるのでは!?

 

 

という匂いをクンクンしながら

阿波の国の話に戻りたいと思います

 

 

この辺のことは推察に過ぎないのですが、

推察で連結する代表的なキーワードが

神道 修験道 山伏 ヤタガラス ユダヤ で

これらの話は連結するところが多く見られ

 

 

 

例えば、

・ユダヤのレビ族の衣装と神道の衣装の類似性

・山伏とユダヤ教との祈りの姿も 頭に四角い箱を乗せて 法螺貝と羊のツノを吹く とか

・神輿とアークのそっくりな感じとか

・神社の門に当たる 鳥居という言葉はヘブライ語で 門 に当たるとか

 

 

ちなみに

 三つの鳥居が実際にある木嶋神社(このしま神社)というものもあり

 その三つの柱で括られた空間は「宇宙の中心を表し」と記述されていて

 祭神は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」 と宇宙の神になっていたりして

 変な感じで急に古事記にリンクしてきます

 

 

・現代日本の企業においても カゴメ だったり サントリーとか ユダヤ系家系の豪族が作ったのではとか思ってしまいます

 

 

で、

 

 

・日本人には意味のわからない エッサ ホイサ という言葉の意味もヘブライだと

 持ち上げる 行く とか よいしょっ!は神が助けてくれる とか

 大和王朝のヤマトは やぅまと といって神の民という意味があるとか

 この辺の言葉の類似しているものはとてもたくさんあるので

 検索してみてもらえたらと思いますし、

 

 

また童謡というかわらべ歌の

か~ごめ か~ごめ

 

とカゴメはイスラエルの国旗、ユダヤのシンボル六芒星にあたり

 

これは伊勢神宮にも見られます

 

 

そして決定的に

徳島の聖なる山

剣山になぞらえた歌の残り方が

鶴と亀がすべった 後ろの正面だ~れ~

 

 

という歌がありますが

鶴と亀で 剣と読みまして

滑った はツルッと滑ったんじゃなくて 統べる 統一するの統の字を持って

 

統べる と読みますし

剣山には 鶴の石 と 亀の石 があり

この後ろの正面だ~れ~ とアークが隠されていたとされる洞窟に続いていたとか

まあGHQとか戦後真っ先に来て 神殿に行って遺体を回収していったとか あったり

 

 

もともとは

鶴亀山と書いて つるぎさんと呼ばれていたという事ですね

 

なので恐らく

大陸経由で持ち込んだ大麻で持って

文化を作っていったのでは!? と思えます

 

 

また剣山はあさうえぐん にあり

大麻を古来植えまくったであろう エリアであることが

地名からも理解できます

 

 

しかもまたついでいうと

富山県にある剣岳は本当に姿形が剣っぽいから

名の由来も納得いくんですけど

 

四国の剣山は緩いアルプスの少女みたいな美しい感じなので

剣に由来した名前になるには無理があるかな~と

 

 

やはり鶴と亀 何だろうな~とか思います

 

そして

この四国の山中というのは

 

剣山の方から

実は山間抜けて愛媛や高知まで抜けられますし

割と山の間の道にしては昔から使いやすかったということもあったり

 

 

その様なところに潜んで

住まざるを得ないもの達が作っただろう溜池跡地だったり

集落跡地がたくさんあります

 

 

で、

ここで

 

自分の持つ疑い・意見としては

イスラエルから帰ってきたユダヤ人がたくさん

目立たない様に辿り着き生活していたと思うんですね

 

だけど山に住む人達と認識され

そのもの達は山伏とか天狗とかって一般人には広まるんですね

 

 

そして、

これらの一族が

大陸で経験してきた様な

人種的迫害を受けない様にするためにも

 

戦争に巻き込まれて

穏やかな生活が奪われることのない為にも

自分たち主導で

一刻も早く国家体制を盤石にしたい

 

更に

 

自分たちが力を持つには!?

とか考えたと思うんですね

 

というのがあって

日本にもともと住む人たちは穏やかで稲作~ な生活をしていたし

神や八百万信仰などはもともと根付いていたので、

 

 

その

信心深い国民性を利用して

神の御告げ の形式を利用することを思いつき

 

その大元である天皇家を乗っ取り

乗っ取ることで

政治的に大きく力を持ち始め

 

 

そして時が経って

だんだんと混血して

顔立ちも日本人化した数世代後に

中臣氏に背乗りした

 

軍事系を任せられる一族と共謀して

中央に変を起こし、

 

平和な世を作っていったのでは!?

平安京を築いていったのでは!? と思います

 

 

まあ、しかし、

朝鮮かチャイナか分かりませんが、、

 

藤原家と名乗るもの達の

奪おう奪おうとする力も強く

平安京の前の平城京の前に

謎の藤原京なるものができてしまったりした

とか考えてしまいます

 

 

 

やはり崇神天皇あたりまでは この祟り神って書いて 崇神天皇ていう名前もちょっと意味深ですが、

それまでの古代からの本当の天皇家があった

 

暗にかどうかはわかりませんが 男系天皇制だったものが

女性天皇を出すことで柔らかい空気を出し始め

訝しむ何か疑いめいたものとかを懐柔していったのでは?! とかも伺えますし、

 

 

まあちょっとズレたところからになりますが、

昔は違かったらしいのですが、

今のイスラエル人は母方がユダヤなら生まれた子もユダヤ人ということで

この辺の事もリンクします

 

 

天皇家においても

男系だけとせず女系も混ぜることで

その後の支配に有効な手段としていったのでは!? とか思いますし

 

 

一旦、政権を握った後は

元の天皇系だったり、天神の子孫の家系のものは多くありますので

そこと勾配することで自分たちの血を日本の名家に馴染ませていったのでは

とかも思います

 

 

で、話戻って

 

507年即位とされる継体天皇から 592年まで即位の崇峻天皇(すしゅん)までの間は

目まぐるしく天皇は変わります

 

26代から32代まで 実に8代が85年間の間に変わります

最初の10代あたりは

一代で100年以上即位していたのに

大変な変わり様です

 

 

・蘇我氏

 

この辺は蘇我氏の台頭があると思われます

それなりに大陸から渡ってきた優秀な集団であるだろう

 

 

蘇我氏はうまくやって実力を認めさせ

またその時の

天皇家はユダヤ系になっていて

真実がないことを見抜いていて

 

実権を一族に移そうと

 

天皇家と対立し

 

めまぐるしい世代交代をさせている間に

その500年代に急成長したのかな~とか思います

 

 

だとしたら弱みを握っている

蘇我氏の家に古書である

天皇紀や国記等の重要書物があるのも納得がいくものになります

 

また政権を揺るぎないものにしていたけど

 

内政のスタイル的には

出来るだけ土着民とも和合していくスタイルで

世を収めていってたのではないかなとか思います

 

 

最後のキーポイントになる人

聖徳太子は蘇我氏とも血縁上深いものもあり

聡明すぎて色々と次の政権を狙うもの達のことも理解する

ということができて

 

そういった政治も行なったと思えるので

太子没後

そして国家体制が築かれいく黎明期

ここだとばかりに

 

ユダヤ系天皇家と手を組んだ 背乗りした中臣氏が

大化の改新を 起こしていく!

 

 

歴史的には神仏習合の際のいざこざ

と合わせての権力争い ということにして、、、

 

 

政権さえ確立し 平和な世の中さえ成立すれば

 

その後、大麻を持って

そこに風紀ある生活を営ませ

意識の高い 平和な世を実現するのは 簡単な事で

その様にしていったのでは!?

と思います

 

 

以上

 

 

といった流れが大雑把ですが、

自分の唱えたい説で

世にある文献とか物的証拠とかその後の歴史からの推察になります

 

 

 

・元々の日本人はアイヌ人でユダヤ人もアイヌ人

 

 

もしくわ~

究極論言わせてもらうと

 

日本の歴史は

最初の最初から

帰ってきたユダヤ人ファミリーが

天皇家になったのでは!?

 

という説も一応ありうるかと思います

 

 

 

巫女による

 

神の権化性を使い

また大麻という薬を処方するとか

 

タネを配るとか

大麻をキャンプファイヤーのように薪がわりにして燃やして

それを集団で囲んで飲めや歌えの阿波踊りのルーツ的なこともやったと思いますし、

 

また 神道的な側面で言えば 狐憑きな儀式や 霊を降ろしてコンタクトしたり

波動の悪いところなら ケガレ払いもやったでしょうし、

 

まあ、何せ 護摩だきという形で残るとこには残っていますから

いろんなシーンで いろんな形態に その時々に応じたものになったのでは!?

と思います

 

その時々のインスピレーションになりますから

霊的掲示もシチュエーションにより

違ったものを得て それをしていったのでは と思います

 

この大麻というのは

元は中央アジア原産だそうで

一昔前は雲南原産とかネットで見たけど

どうも時代によって変わっていますが、

まあ大陸産な訳ですよね

 

ここ通って来たから持ち運べたわけで

その存在や使い方なんかは

インド辺り通って来たなら勉強済みになるとは思いますので、

 

このスーパースターを使わない手はないと思うんですよね

なので有効に利用していったのかな~とかも思います

 

 

といった感じの

天皇 最初からユダヤ論ていうのも

一応 逃げ道というか 示唆しておこうかな~と、、

 

 

作ってて思ったのですが、

宮内庁は国家的権威性を持った歴史捏造グループに

日教組は民間普及に際した水際捏造グループになりますね

 

 

そして

ちょっと加えておきたいのが、

明治天皇以前は八咫の鏡のアマテラスの呪いを恐れていた

ということが残っているので

 

 

じゃあ逆に

 

明治天皇以降 なぜ呪いを恐れなくなったのかというのが疑問になり、

答えは

明治維新のどさくさに紛れて

また天皇の主筋の一家が入れ替わったから というのも推測されてきます

 

昭和天皇が戦時中に日本人女性10万人を奴隷として

欧州に売り飛ばして

私財を蓄えた とか言われている真実がありますから

 

この行いや

 

態度の豹変から察するに

中世に確立されていたとされる神道は

まるっきりどうでもいい事のように

存在や 行いの性質が変わっています

 

 

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。 

神は垂るるに祈祷をもって先となし、冥(めい)は加うるに正直をもって本となせり。 

神を祭るの礼は、清浄をもって先となし、真信をもって宗となす。

 

黒心なくして、丹心をもちて、清く潔く斎(ゆまわ)り慎しみ、左の物を右に移さず、

右の物を左に移さずして、左を左とし右を右とし、左に帰り右に回る事も、万事違う事なくして、大神に仕え奉る。

 

元を元とし、本を本とする故なり。

 

 

という神道の精神は

昭和天皇のセックススレーブ商売をした という行いには完全に失われていますよね

 

もっと

 

色々な角度から

 

掘ってみたいのですが、

動画も長くなりすぎるので

 

 

今回はこの辺で という事で

 

最後までご視聴いただきありがとうございます

 

 

 

 

 

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