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今回は

・日月神示 弥勒の世 来たる未来への意識の持ちよう

 

という事でお話ししてみたいと思いますが

 

 

今回の

日月神事については

ほとんどがwikiの内容からの抜粋となり

そこに自分の考察をしていく形で進んでいきたいと思います

 

 

・日月神示

 

日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊

(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊よる神示を自動書記によって記述したとされる文書である。

 

原文はほとんどが漢数字、独特の記号、そして、若干のかな文字の混じった文体で構成され、

抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る。本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、

 

他にも、神霊より発表を禁じられていると主張する「巻」が13巻有り、

天明は、この未発表のものについて「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります。」

と昭和36年に語っている

 

 

日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初はほとんど読むことが出来なかったが、

仲間の神典研究家や自身を霊能者する者の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典の努力により、

 

現在では一部を除きかなりの部分が解読されたといわれている。

 

 

・読み方

 

しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり

解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的である。

 

 

麻賀多神社の社務所で天明が最初に自動書記で書かされた原文は下のようなものであった。

 

「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」  これは次の通りに読めると言われている

 

「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」

 

 

続いて

「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから

 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか

 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」

 

  これについて読み方は

 

キリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから 

ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 

今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」

 

解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、

 

その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。

助かるためには身魂精神身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。

 

磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。

 

 日月神示の中ではこのような大災厄や大試練を

 「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼んで、多くの帖で書記されている。

 

 

この大峠は我々の住むこの現界のみならず、神界、霊界、幽界なども含めたすべての世界とすべての存在に等しく起こるとされ

森羅万象のうち何ひとつそれから免れることができるものは存在しないという

 

また、この現界(うつし世)よりもはるかに高次元で高度と思われる神界の神々や守護神といった存在でもこの大峠を越せない存在があるという

 

この身魂磨きや心の浄化、また正しい食生活で身体を健康で強壮なものに保っていくことの大切さは日月神示の主題と言っても良く、

 

我々ひとりひとりがこの現界をより良く生きるためにも、

この先に起こるとされる大峠を無事に乗り越えるためにも極めて重大なことであり

日月神示自体が降ろされた理由もこれに尽きると考えられる。

 

 

なお、日月神示はこれらの帖を手始めに昭和19年から天明が亡くなる2年前の昭和36年まで17年間にわたり書記されていく。

 

 

神示には「人間の生き方」、「正しい食生活について」、「夫婦の本当のありかた」、

さらには「霊界」の実相(霊界のことについては節を設けて後述)についても書記されているなど

 

非常に広範囲にわたっての記述が見られるが、未来に関するいわゆる「予言書」的な記述部分も多く見られる

ということで、

 

 

これって普通に考えて真理真実悟りとプラスアルファで未来予言という事で

 

本で言えば良書に当たり、

もし自分が本屋で見つけたら即買いのレベルだと思いますね

 

 

で、この日月神事

 

神の霊が

「今まで他に出て居たのは皆、神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。キの神示ぢゃ」

と言っていることから

 

筆先に出て初期されたものを元に作られた宗教の大本教のものよりも

遥かに真実に近いというか、

さらに大切なことを知らせているのだよ! と言った風に感じますね

 

 

しかもこう言った

 

このカタカナの キ も持つ意味が多そうで

もちろん氣質とかの氣という意味もあるだろうことから エネルギーの元の元の神とされるものからのものであったり、

 

生と書いて き とも読みますし、記す とか、始まりの意味で起きるのきとか、奇妙のきとか、器とか輝くとか金色のきとか喜びのきとか

 

こう言った感じで意味がめちゃくちゃ取れてくるので、

 

この先はやはり直感 神からのインスピレーションを信じて一つ一つ意味づけしないと

先に進めないので

 

なんだよ 誠 そっちの意味じゃないんじゃないの~!?ってなっても

コメント蘭で教えてもらえたらと思います

 

 

それでは続きに戻りまして、

日月神事が記された時の文字について

 

「高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす「レ」と「〇」と「+」があるのみ。

また高度の霊人の文字として、ほとんど数字のみが使用されている場合もある。

数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである」

 

「天人同志の文字は数字が多いぞ。天人の言葉はマコトであるから、ただ一言で万語を伝え得るぞ。」

 

また

霊能者として有名なスェーデンの貴族であるE.スウェデンボルグ

天界探訪の事を記した自身の著作で「天人の文字は数字が非常に多かった。」

と書いていて興味深いものが有る

 

 

という感じで

 

暗号のような文字の羅列というか

多重に意味が含まれる ものの羅列なのですね

 

 

で、これは解読しようがあるし、

 

内容が理解できるし、意味が解ると真理がわかるという事で、

 

確かにこれを

普通の人が書いたとは思えませんし

 

また

神が手に宿ったとされるのも

本当なんだろうな~ と思ってしまいますね

 

 

こういうのって信じられる人とそうでない人がいると思うんですけど、

 

自分が知っているのは、

せめてフラットでいる事で何か起きたりすると思ってて

 

信じられない人の周りには一切

最後の瞬間まで事象は起きない という事ですね

 

 

むしろ信じていて

 

しかも強く信じて それを心で確定していれば

それら事象は目の前に起こるという事ですね

 

 

で、話逸れたんで戻って

 

 

 

・日月神示内容解説

 

「外で判らん根本の キ のこと知らす此の方の神示ぢゃ、

 三千世界のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。

 落ち着いて聞き落としのない様になされよ。

 

と、また キ というカタカナが出てくるのですが、

この キ は氣づきの 氣 氣と書いて エネルギー を指すのかな~と思いますね。

 

 

全ての元になる神のエネルギー

ま、多重に意味はあるのでしょうけれど、、

 

 

で、

 

「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」

とあり

 

この神示は単に現界(うつしよ)に生きる人間のみならず、天界や霊界、

また、その他多くの世界に住んでいる存在(神、竜神、天人、天使、霊人達)にも

等しく与えられているらしい

 

 

という事で、

 

やっぱレプティリアンいるんだ!? ってなりますけど、

 

これって良い存在達に配られたっぽいので

レプでも 自分が想像していたのは

 

悪いレプが世界を悪に染めているイメージだったので、

良い龍神がいるという事と受け取ると

なんかまた不思議な氣持ちになりますね

 

 

で、

 

次に

 

「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。」

 

「此処(ここ)は光の道伝え、行う所、教えでないと申してあろう。教えは教えに過ぎん。

 道でなくては、今度はならんのぢゃ。」

 

「今迄の日本の宗教は日本だけの宗教。この度は世界のもとの、三千世界の大道ぞ、教えでないぞ。」

 

 

という記述があり

 

 

また

 

「此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。」

 

「今迄の教ではこの道判らんぞ。」

 

「三界を貫く道ぞ誠なり誠の道は一つなりけり。神界の誠かくれし(隠れし)今迄の道は誠の道でないぞや、

鬼おろち草木動物虫けらも一つにゑらぐ(えらぐ)道ぞ誠ぞ。」

 

 

という記述からも

 

宗教みたいなものは

低意識体の意識を 都合の良いように運ぶものとしてでも捉えているかの様な

今までの様な教会作らせんぞ という言葉から 意を得ますし、

 

 

そして

 

やはり

真理、真実、悟り というか

エネルギーの基からの道 というか

 

そう言った本質を 誠 とか 道 とか表しているかの様な

感じですね

 

 

また某キリスト教の教えの 右の頬と左の頬の話も

 

「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、

その心根をよく洗って見つめよ、

それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。

 

 

マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけてくだされよ。

笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。

世界一家天下太平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ」

 

 

という記述からも

 

この言葉は

意識レベルが高くないと

見えてこないし、出てこない言葉だと思うので

 

やはり真実の道を明らかにすべく

高次の存在が記したもの 本物 なのでは!? と伺えます

 

 

他にも奇跡を信じることの愚かさを諭した記述や

 

修行や断食の行を厳しく諌めた記述として

 

 

 

・食について

 

「食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。

悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。何も彼も同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。

 

うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢゃ。」

 

 

と、やはり真理レベル高いな~と思ってしまいますね

 

 

「腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。

流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。」

 

「みなみな気つかん理、気つかん病になってゐるぞ。

ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。」

 

 

この辺のことも

 

食べ物との距離感や 食べ物の存在の命を大切にする様な意図もとって見れたりして

あるべき態度をわからされますね

 

「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、

臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ。」

 

と、ブッダの教えとも同じこと言いつつも

 

「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げて(ささげて)からにせよ、神から頂けよ、

さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ」

 

と、食べないほうが良いとしつつも、

 

そこも 神にささげて と 一枚 神 を通して

そこに感謝とか神聖な同じ生き物を頂くということへの

氣持ち的な理解というかを混ぜれば

 

全て食べて良し というのが、

まさに中道的な立場を持たせるという感じで、

この感じはまさに自分も普段、仕方ない時以外4つ足を食べないので

 

食に対しての 意識の働きに共感できてしまい

この日月神示に対し、

本物判定をしてしまいます

 

 

で、また

 

 

・人の生き方

 

に対しての記述も

 

「臣民にわかる様にいうなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、

 

それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、

それでよく分かるであろうが。

 

身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」

 

 

この言葉からは身魂とありますので、体だけでなく、魂も 神からの預かりものであるとするところに

 

自分とは!? をさらに強く考えさせられますし、魂も 自ら分かれた神としての自分の魂ではなく

さらにその 自分の意識=魂 と思っているものも 最も尊いものとすること

という言葉に 今は言葉にできませんが、真実の力を感じます

 

 

で、次に

 

「目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。

 

神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」

 

とあり、

やはり教えのレベルが

真理レベルにおいて そのまんま 全くもって真実である

と受け取れます

 

 

次は

 

夫婦のあり方についても

 

「愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。

夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」

 

「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。」

 

「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。

信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二(富士)晴れるぞ。」

 

「夫婦けんかするでない。夫のみ いかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。

お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。」

 

 

と言ったことが記されており

 

意を相合わせる で あい

と書いた 昔の 愛 という漢字のことを説くと

この様な感じで 解りやすい言葉になるのかな~と言った感じに

感じます

 

 

で、次の分野というか項目というかは

 

 

・霊界と現界との関係 

 

についてになります

 

 

 広く霊界といっても神界と幽界に大別され、神界は天国と霊国に分けられ、幽界はそれぞれ、陽界と陰界に分けられる。

 

 天国には天人が、霊国には天使が住み、幽界は 陽界には陽霊人が、陰界には陰霊人が住んでいる

 

 幽界は人間界(現界)と最も深い関係にあり、初期の神懸かりの殆んどはこの幽界からの感応によるものであるから注意が必要である。

 

 幽界は本来は無いものであるが、人間の地獄的想念が生み出したものである。

 

 高度の霊がただちに肉体 人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない。

 

  目に見えぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的なものになる。

 

  下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいるため、その感応は極めて強く人間の目にはいかにも、

  もっともらしく映るのでこれも注意が必要である。

 

 高度なものはその人間の心(精神)に応じてそれと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現される。

 

 下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、

 

 高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらは良く見極めれば判る。

 

 特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て人間に特別な通信をしたり、指示したりすることがある。

 

  また天使の霊が母体(母胎)に宿り人間として生まれて来ることもある。末世にはこの種の降誕人が沢山ある。

 

 特別の使命を持つ天使は別として、人間霊以外の霊で人間に憑依するのは、

 日本を例にとれば神、天狗、仙人、狐、狸、猫などが大部分である。

 

 先祖霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意を要する。

 

 動物霊が祖先のことを知っているのは、

 その憑依の対象となる人間の肉体霊(その人間の想念や考えていること)の知っていることを、直ちに知り得るからである

 

 動物霊が人間の言葉を使うのは不可解にも思えるが、

 それは例えれば、他人の家に入り込んでそこにある道具類をそのまま使うのと同じ道理である。

 

 動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、ある程度その人間の持つ言葉を使いこなせる。

 日本人に感応すれば日本語を、米国人ならば英語を語ることが出来る。

 

基本的に下級霊や動物霊は人間に感応はするが肉体の内部までは入り込めない。

 

  しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える場合がある。

例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっていることもある。

こうした場合は肉体に入り込んだと考えて良い。

 

  例えばそれが狐なら狐の様相を露呈するから、すぐ判るが悪行を積んだ霊などの場合は、

  その時代時代に合わせて化けているので見破ることがなかなか難しい。

 

  人間霊の場合でも或種(あるしゅ)の霊は、自分自身が高度な神界に住んでいると誤信しているものがいるが、

  こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。

 

  人間の知らぬ世界のことを自信を以って強く告げてくるので、判別は困難で多くの場合、審神者(さにわ)は参ってしまう。

 

  仙人というのはどんなに高度に見えるものでも、幽界に属す。

  なぜなら、仙人界には戒律があるからである。神界には戒律はない。

 

  真の宗教に戒律はないのである。戒律がある宗教は亡びる。しかし、神界にも仙人的な存在はある。

 

  竜体(竜神と思われる)を持つ霊は神界にも幽界にもある。

 

  竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである。

 

  先祖霊が出る場合は、何か頼みたいことがある場合が多い。

 

  浄化した高級霊ともなれば、人間の肉体に判るような感応はほとんどない。

 

先祖は現界に住んでいる肉体人を土台として修業するものである。

 

  また、同様に霊界に於ける自分は先祖との交流や交渉は深いものである。

 

  その先祖は神界に属する場合と幽界に属する場合とがある。

 

  神界に属するものは正流を通じて、幽界に属する場合は外流を通じて、肉体人の子孫にそれぞれ感応して来る。

 

  下級霊や動物霊の場合は「酔いどれ」のように箸にも棒にもかからないことを言ってくる。

 

  霊の要求だからといって、そのまま受け入れるのではなく、よく判断した上で処理しなければならない。

 

  霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。

 

  また、霊人と語るのは非常に危険である。

   物を見るのは額で見ることが重要である。額の目に 見 の誤りはなく、額の判断に間違いはない

   また、正神からの感応は額から入り、顔面全体に及び、やがては身体全身に及んでいくものである。

 

  逆に、悪の霊が懸かった場合は肉体の背後や首すじなどから感応し、肉体の「みぞおち」あたりに集まり、そこで頑張るものである。

 

  霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくいて、一般人はそれに騙されることがよくある。

 

  これらは、いずれも下級霊の仕業である。

正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である

 

  どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはならない。

 

  馬鹿にすると反射的に審神者を馬鹿にして始末に負えないことになるので思慮が必要である。

 

  特にその霊が病気に関連をもっている場合は微妙である。

 

  霊には常に愛を持って接し、柔らかく持ち掛け良い方向に導いて行こうとする努力が大切である。

 

  霊の邪道的要求を受けて一時的に病気を治すと、それに倍になってぶり返すものである。

 

悪霊自身は自身を悪だとは思っていない。

 

  霊的良識は神示や神典類によって、また体験によって養われる。さらには高度の科学書も参考になる

 

  人間界(現界)のことを良く知っている霊は人間界を去って間もない霊か 地上世界に長く住んでいた動物霊か、人間に憑依していた霊である。

 

  神の守護というのは人間からは全然判らないものである。判る様な守護は低い神や悪神の守護である。

 

  悪神でも大将ともなればその守護は人間には判らない

 

  日本には日本の守護の神、中国には中国の、外国には外国のそれぞれの守護の神がいる。

 

  今の人間は99厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。

 

  霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の99厘は邪霊である。今後は更に激しくなる。

 

  少しでも、怪しいと思った場合は それが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。

 

  例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神することが重要である。

 

  悪神が懸かった時は自分では偉い神様が乗り移ったと信じ込む場合が多い。

 

  それは自分の天狗のような高慢な心が原因である。

 

  我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。

 

  こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。

 

  幽界霊も時によっては正しく善なることを言うが、それはただ言うだけである。

 

  例えるなら悪人が口先だけで善を語るようなものである。

 

  良い言葉ならば、たとえ悪神が語ってもいいのでは?とも思えるが、それは理屈である。

 

  真の善言や真言は心、言葉、行ないが一致しているから直ちに力を持つが、それらが一致していないと力は出ないのである。

  言葉の上のみ同一であっても例えば、同じ「はい」という返事でも喜びの時と不満の時とでは違うように、偽りの言葉は落ち着いて聞けば判るものである。

 

  その人間の心に相応した神しか拝めない。悪い心で拝めば、どんなに立派な神前でも悪神が感応する。

 

  逆に悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり、善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。

 

  23重人格というのは23重の憑き物の転換によるものであり、群集心理とはその時の一時的な憑依霊達の仕業である。

 

  また、流行病のほとんどが邪霊集団の作用や仕業によるものである。

 

  霊人には何でも判っているとか神懸りで世界のことが何でも分かると思うのは大きな間違いである

 

人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。

 

  この世を天国として暮らしていた人は天国へ、

  地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。

 

神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。 幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。

 

神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である。

 

偶然の真理を覚ることが大切である。この世に偶然というものは、ひとつも存在しない。

 

  高い所(神界、天界)から来るから人間には偶然や奇跡と見えるのである。

 

  神からの現われであり、その手順が現界の人間には全く分からないためにそう見えるだけである。これが判れば大安心、立命である

 

人間の肉体は最底部をなすものであるから、肉体的動きの以前において必ず霊的動きが有る。

 

  また、肉体的には小さな行為であつても霊的には大きな意味や働きをしている場合が多い。

 

  天界で起こった出来事は必ず現界にも起こる。

 

  しかし、その時の現界の状況にもある程度左右され、早くなったり逆に遅くなったりする場合がある。

  また、時によっては順序が違う場合もある。

 

天人や天使の行為が人間にうつるのであるが、逆に人間の自由や能力の如何によっての行為も天界や霊界に反映する。

 

  日本や外国では土地が違うように天界へのうつり方も違うのである。

 

悪いこと(天災や戦争や世の中の騒動や混乱など)を待つ心は魔の心である。

 

  いつどこにそれらが来たり、起ったりするのかと待ち望んでいるような心は悪魔に使われているのである。

 

 

  「地上人に於ても、その内的 真実のものは額でのみ見得るものであって、

  目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。

  故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない」

 

「地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。

 

 霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。

 

 また地上の約束を、そのまま霊界では行い得ない。

 

 しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。」

 

「偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ。」

 

 

 と言った感じで、

 

 不可思議な領域の話になり

 多くの真実を明かしていると思います。

 

 これらのことも

 何言ってんだ!?って人もいれば

 凄い!良くわかった となった人もいるかと思います

 

 

 自分が特に氣になったのは

 神的自分が本守護神であり、本守護神は大神の歓喜である。

 

 

 というところに

 

 大神=歓喜 である と見て取れるので

 歓び喜び を心の世界 この世界において楽しむことを目的とし、

 人は存在しているのかな~、と伺えたことですね。

 

そしてここからは

 

・予言の書 

 

としての 一面を紹介したいと思います

 

神示の中では、これから起こるらしい地球上での大変動や大戦乱などを含む途方もない大災厄を「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼び、

 

それらは現界に生きている人間のみならず霊界なども含めた全ての世界に等しく起こるとされ、

 

神霊の別の言葉によれば「三千世界すべての大建替」になるという。

 

 

 

予言としては

 

「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。」

 

「日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。」

 

「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。」

 

「大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」

 

「此れまでの仕組みや信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味の信仰であるぞ、神に真直ぐに向ふのざぞ。日向と申してあろうがな。」

「この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。

 

悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、

この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。」

 

「世界の何所さがしても、今では九九(ここ)より外に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処(ここ)へ参りて、

マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ。」

 

「今度の御用は此の神示読まないでは三千世界のことであるから何処探しても人民の力では見当取れんと申してあろがな、何処探しても判りはせんのざぞ。

ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ、神々様さえ判らん仕組と知らしてあろが。

兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いてくれよ。それが第一等ざぞ。

 

 

「この神示肚(はら)に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、

ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。

何より改心第一ぞと気付けてあろが、神示肝にはいれば未来見え透くのざぞ。」

 

 

と語っており、高級神霊や高級霊でも必ずしもその全てが、

今後に起こる未来の正確な出来事やその究極の結末(とどめの最后(最期))、

 

また救われるためにはどうすればよいのかといった対処の仕方や救済の方法や道

(この先どうしたらよいかと云ふ事は、神のマコトの道知らす所)を分かっている訳ではないらしいことと、

 

その後に移行するとされる「元の神世」に移り変わるギリギリの仕組みについては高級神霊でも、そのほとんどが分からないことだという

 

 

また、この移行する世界、「みろくの世」(ミロクの世)と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には

我々が住むこの現界でもこうした肝心な事が何もわからない神(低級な神)や霊に憑かれた、

 

又は繋がった怪しげな予言者や神懸り、霊懸りした宗教家(低級な神や霊が懸った宗教家)や

指導者(同じく低級な神や霊が懸った霊能者チャネラー)などが多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。

 

 

「世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢや。悪かみかかりに迷ふでないぞ。

 

サニワ(審神)せよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。カミカカリ(神懸り)が沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、

早く此の理(道)をひらいて呉れよ。」

 

「色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告に迷ふぞ。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。」

 

「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。

神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。

薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」

 

で書記され、こうした惑わしや混乱も一時的で束の間の今しばらくのものでしかないこと。

 

そして、世に出ている色々なお告げに対しても(たとえ、それが神(高級神霊)からのお告げや言葉であっても)、

 

馬鹿正直に何の疑問も持たずに鵜呑みにして信じるのではなく、自分自身で良くサニワ(審神)、見極めて取捨し、

 

惑わされることがないようにすることが肝要なのだと語られている。

 

神示にあるように馬鹿正直も程を過ぎると「まことの道」を見失ってしまうことにもなるという。

と言う事ですね。

 

 

結構 誠 と言う言葉が多く出るので、

親にもらった名前との因果といい、昔に比べて自分の行いもよくなった 当社比 自分 カケル ー1億倍くらいの成長が自分に見えるので、

 

 

さらに

 

自分も誠の道を進んでいけたら と思いますね

 

ちなみになんですけど

 

ホームページに今現在は 至誠一生堂 と名乗ってあるのですが、

これも小学4年生くらいの時に

福岡で入院しているご老人方に習字を書いて プレゼントする と言う企画が小学校でありまして、

 

それで書いて出したら、

見知らぬ おじいさんから

しかも凄い達筆で未だにうちの親は良いものを頂いたなんて

神棚に飾っているのですが、

 

そこに記されていた句の様なものから抜粋したものになりますね

 

 

大空にかかる橋をば駆け上り 至誠一生 幸福の道を

 

 

とあったんですね

 

まさに日月神示の言葉と一緒で、この動画作っていながらにして

不思議な氣持ちと共にある次第であります

 

41歳 無職のおっさん 未だに中2病と言った感じで先に進みましょう!w

 

 

 

この日月神示に見られる

次の弥勒の世への移行の際は

この世の仕組みから変わると言う事なので

 

この物質界において何かが起きる のは決められていることの様に感じますね

 

 

でも

 

日の柱や 大地震 が世を包んでも

そこには この今の世の物理法則まで壊し得ないのではないかな~!?

と感じますので、

 

欧州スイスフランス国境にある

CERN みたいなもの が

 

素粒子を固定するとされる

ヒッグス粒子を発見し、

 

 

それを乱すことで 素粒子不安定の世界になり

またさらに 何かを混ぜるとか 起こすとかして

 

この世の物理法則を破壊するのかな~ とかって線もあり得なくはないかな~とか、、

 

ホーキング博士もサーンを稼動するな と言ってましたし、

 

サーンの施設には ダンシングシヴァも飾られていますし、

 

小型のブラックホールが生まれて吸い込まれる とかそう言う説もありましたし、

 

ちょっと前の噂だと、

この世界のものでない 幽体 と言うか幽霊というかが

街を徘徊しているとか

 

 

数年前稼動した時は

ネパールに大地震が起きて

シヴァ寺が破壊された なんて話もありましたし、

 

 

まあ、サーンだけではないのでしょうが、

 

何が起きるのやら?!と言った感じですね~。

 

 

そしてでは

 

次の項目

 

 

・過去六度の建替と今後の七度目で最終最後の大建替

 

 

神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという

そして、これが最後なのだとも書記されている。

 

 

過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、

うわべだけの神示で言う「膏薬(こうやく)張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、

 

すぐに元に戻り永続しなかったのだという。

 

そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、

この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、

天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、

 

文字通り「この世始まって二度とない苦労である」となるような途方もない大災厄と大変動が始まりのうちには起こるのだという。

 

 

ということで何が待ち受けているのか!?

 

って感じで、次の文には

 

 

「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、

どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、

神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。

 

それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ。」

 

「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ

今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、

臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」

 

「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。

ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。

日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、

神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。

 

大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、

神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」

 

 

「戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上(天界)も潰れるぞ、下(現界)も潰れるぞ、

つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分りては居らんのざぞ。

今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。」

 

 

「死ぬか生るかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉く(ことごとく)が同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。

今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。

この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。」

 

 

「今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカへ(建替)ではないのであるぞ。」

 

「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵(ちり)一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。

今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。

建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」

 

 

「天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。

この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ

これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。」

 

 

「この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。

愈々(いよいよ)の建替ざから、もとの神代よりも、もう一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。

 

途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。

元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、

元の生神でないと、今度の御用出来んぞ。」

 

次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、

天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり

三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」

 

 

「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、

神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」

 

 

「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、

人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、

今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。」

 

 

「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、

半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、

灰になる肉体であってはならん、原爆水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、

 

今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。

岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」

 

 

「八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、

八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。

 

八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、

物質も念も総てが変るのであるぞ。

 

 

これが元の元の元の大神の御神策ぞ、

今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、

いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。

 

 

百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、

今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。

 

 

今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきぢゃ。

 

千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も申さないでいたのであるなれど、

時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ。」

 

 

ということで

 

たくさんの予言があり

しかもどうなるのか解らないとしながらも

 

 

結構

 

半身半霊になるとか

教えてくださっていますし、

 

この世の物理法則が大元から変わるとか

まあ、その際は絶望的な何かが起こるとか

 

そう言った際も 身魂から悪を捨て 誠を持って生きていれば良い ということまで

教えてくださってますね

 

 

ということで、

 

次の世、弥勒の世では

自分の存在は

死後の世界にある様な

 

魂というか 純粋なエネルギー としての自分になる可能性が見て取れますし、

 

善で喜々とした世界に生まれ変わり

悪が蔓延らない様にするということなので、

 

 

っちゅうことは

 

そちらに

 

・生きたければ

 

今持ってる 自分の中の邪悪を捨てて、

意識の中の固定観念だったり 宗教を捨て

真理、真実、を悟り、

 

元の元の元の大神の 光のエネルギー 歓喜のエネルギー と共鳴できる様にならなくては

ということですね

 

 

そこから道が生まれ

そこからが道となる

 

そう言ったことになるのでしょうか!?

 

 

自分適当なので

こんな感じの推察をしつつ

次の項目に行きたいと思います

 

 

 

予兆

 

 

先に述べた 大峠や三千世界の大洗濯が来る直前にはいくつかの兆候があるのだと神示には書記されている。

まず、天空に多くの異変が現れ本来ひとつのはずの「太陽」が複数個見られる様になるという。

 

また「」にも異変が現れ太陽はその色が「く」月は「く」なり、も赤く染まるのだという。

また、北から軍事攻撃されるのが、その始まりになるとも書記されている。

 

これらは次のように述べられている。

 

 

「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、

天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、

この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」

 

 

「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち()の色となるぞ、流れもちぢゃ、

人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」と書記されている。

 

 

天空の異変については、上記以外にも

 

宵の明星 が東へ廻ってゐたら、愈々(いよいよ)だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな。」

更には「天の異変気付と申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。

人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。」

 

「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。

冬に咲いたら気つけて呉れよ。」

 

「冬の先春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。」

 

夏に雪が降ったり冬に桜が咲いたりといった気象季節

また、それによる生態系の異変なども大きな予兆になるのだという。

 

 

「この世始ってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし(片端)八まべ(浜辺)からぞ。」

 

とありますが、

 

かのととり 調べたら 次は2041年なので

それまでは大丈夫なのかな~とか考えたりもしましたw

なのでしばらくは大丈夫ということで次行きましょう!

 

 

 

 

 

・三千世界の大洗濯と大峠

 

予兆の後に起こるとされる地球上での大変動や大戦乱についての記述は神示の中にいくつか見られるが、

戦乱については多くの国がひとつになって日本に攻めて来るのだという。

 

また、時を同じくして人類が未だかつて経験したことが無い程の大変動が起こるのだと書記されている。

 

 

「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、

その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。

 

「天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度にゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。」

 

 

「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、

戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、

あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、

 

肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、

神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。

神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」

 

 

「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」

 

 

 

という感じなので

 

御霊の持ちようが その後の何かを左右しそうですよね

タマの戦や災いは見当とれまいと言ってますので、

 

魂という純粋な意識のエネルギーになったところで、

何かがあるのでは!? と感じさせます

 

 

また

 

悪の御霊が怖いぞ! と言ってますし

やはり心から 悪を排除したい ところになりますよね

 

 

自分もなかなか出ていかない

無知なカルマのというと逃げてるか、、

 

自分の悪心が起こした カルマ というかで

心にまだまだ悪が言を発する とでもいいましょうか、、

 

氣付くことは大抵の場合できる様にはなってはいるのですが、

どうしても発生が止まないということもあり

 

 

そこに対して祈ったりもしますが、

なかなか完璧な除去は難しいですね~、。

 

悪い想念の人にも未だに引っ張られたりもしますし、、

早く人間になりたい! と言った感じですね~。。

 

 

で、

 

その他の初期された部分で面白い所として、

 

 

「悪の大将の神憑(かみがかり)は、神憑と分らんぞ、気つけて呉れよ」

 

というのがあり

これは天皇についてとか!? その国々の王族や貴族等になるのでしょうか!?

とか勘ぐってしまいます

 

 

だいたい、日本という国が 世界から侵攻される様になる という風なことを

今の善良で勤勉な国民性からは 想像し得ませんから

それまでに日本人を貶めたい勢力に乗っ取られ

 

対外政策において 敵対ばかり起こしていくのか!?

 

 

それとも

一説にあるイルミナティなどを裏で支配しているのは

天皇だ説により

 

悪の総本山 日本とされて攻め込まれるのか!?

 

 

何かしら

 

本来の日本国民の国民性を妬まれた様な感じのもの

が起きるのかな~とか、

 

まあ、現状も日本と呼べる様な大企業から政府から多分天皇家も含め

既に乗っ取られてる様に感じますけどね~、、。

 

 

で、次は

 

(神)が誰にでも懸かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。

 神懸かりに凝る(こる)とロクなことないからホドホド(程々)にしてくれよ。この道は中行く道と申してあろがな。」

 

 

これに関しては仏教の中道のススメ的なものを感じます

 

 

そして次は

 

「人民には見当取れん大きな大きな大望(たいもう)ざから、その型だけでよいからと申しているのぢゃ、型して下されよ。

 

 改心の見込みついたら、世の元からの生き神が、おのおのにタマ(魂)入れてやるから、力添え致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。

 悪は伸びるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。」

 

これについては悪を早く捨てて

御霊を磨き魂交換の勧め!的なことですね

 

 

では次に

 

「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、

 なかなかに六ヶ敷(むずかしい)仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。」、

 

 「この仕組知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。」

 

 

とありますので

 

自分が先ほど申した様な弥勒の世における

半身半魂のあの辺の話は

本当は違うもの 神様でも理解に苦しむのだから 自分に理解ができるなど高慢でしょうね。

 

でも 大神の仕組み、理解したいですね~。

 

 

「身魂の洗濯とは 心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ」

 

「ミタマとは身と霊であるぞ。」

 

 

 と、

 体にも何かつくといった感じの言葉ですよね。

 

 

 四つ足食うなとか

 波動値の高い水を飲め とか

 体を大事にしろよ 的なことでしょうか!?

 

 

では次、

 

「天明阿房(あほう)になりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。」

 

「臣民からは阿房(あほう)に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。」

 

素直に とは

心を まっすぐ である状態が ありのまま の状態でもあること ということでしょうか!?

その様に素直にならなくてわ! ですね 自分は特に!!

 

 

 

で次は

 

神示によると世の中が乱れたのは人間界(現界)からではなく、神界からなのだという

頼みます!神様ー! と言った感じになりますね。

 

 

で、次が最後

 

「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのであるぞ

地の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。」とも書記させている。

 

 

ということで、

 

 

身魂磨いて 歓喜の世界にまで

辿り着きたいものです

 

 

 

 

 

 

 

 

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